天皇制(part2)

 人が形成する社会の中で小さなグループの例として草野球チームがあったとします。
 そのチームでみんなでユニフォームを決めた時、そのデザインではなく別のものが良かった人が、一端決めたユニフォームをいつまでも貶し続けたらチームメイトはどう思うでしょう?
 そうです、売国奴はまさにこのような“嫌われ者”にならなければならないのです。
 ユニフォームというものは物質的には単なる布でしかありません。この点では日の丸と一緒ですが、一度そういう性質を与えたら物質的に布であるものが心情的にはただの布では無くなるのです。
 売国党員選挙でも常に上位に顔を出している辻元清美氏がサインをしただけでバイブの値段が少しでもあがったということもあるので、売国主義者もこの心情的な価値というのを受け入れているという事実もありますが、どうせならサインより歯形でもつけた方が辻元氏らしかったのかもしれません。
 他チームがエール交換の代わりに自分のチームのユニフォームと同じデザインのものを持ってきて、唾を吐きかけたり、足蹴にしたり、焼いたりしたらどう思うでしょうか?
 自分としては別のデザインのものの方が良かったとしても、チームのみんなの意見で決めたユニフォームが冒涜されれば不愉快になるのが当然です。だから、「普段は全然気にしてないのにこうして余所者から愚弄されると自分の親や親族が愚弄された気になって激しい怒りを覚える」わけです。
 日本では、日の丸よりも北朝鮮の旗の方がデザイン的に好きだとか、君が代のメロディはダサイから、オウムの「しょーこーしょーこ〜」なんて歌の方が好きだと思うのは個人の勝手という自由があります。
 しかし、自分の意志とは違ったとしても「みんなで決めたこと」なので、どうしてもそれが嫌ならチームを出て、地上の楽園とやらに行くべきでしょうが、そういう場合も売国奴らしく都合良く日本に居座りながら日本を卑しめ続けなければなりません。
 韓国人は日の丸の赤を女性の生理の血に例えて言うそうですが、そういう発想だと太極旗は血の付いた部分の半分に青カビが生えて、その周りに陰毛を少しばかり散りばめた方が上と思っているのかもしれません。

 特定亜細亜が天皇に何かとイチャモンつけたがるのは手に入りようがない権威に対する僻みに他ならないのです。
 逆に言えば本音では権威があることを認めているわけで、反日発言を繰り返していた韓国の全斗煥元大統領が実際に昭和天皇に会った時には緊張のあまりガクブル状態だったのがそれを裏付けています。時代が時代なのでビデオなどもネット上に出回っていませんが、現在ならとっくにUPされることでしょう。
 明治以来、政治家は天皇自体に採決の判断を委ねることは自粛していたわけで、そういう意味では、「君臨すれども統治はせず」の原則は守られていました。戦前は軍部に対する統帥権などというものがありましたが、現在では「天皇は象徴」なわけです。
 因みに、天皇の権威は最高級で米国大統領でも上座を譲るわけで、この「権威」というのは「権力」と異なり、望んで手に入るものではありません。政治的意味合いを抜きに外交接遇できる貴重な存在をやたら卑しめようとするのが特定亜細亜の方の特徴なので、売国主義者はこのような発想を応援する必要があり、売日新聞の在日記者のように天皇を無用の長物のように言い続ける必要があります。
 普通の日本人が嫌悪感を催すように、日の丸、君が代、天皇を卑しめるのが売国奴の役目なのです。
 ユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、『社会契約論』で「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民供治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである」と。
 売国主義者は特定亜細亜に同調して天皇や日の丸、君が代を卑しめなければなりません。

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