日の丸嫌いの先生

 國賊新聞前号では、日の丸嫌いの政党について述べたが、「まだやっているのか!?」と言いたくなる「仕事をしない教師」の地道な売国活動をわけのわからない理屈で擁護する変態新聞こと毎日新聞の社説に基づいて評価を試みたい。
 定期的にネットの巨大掲示板である2ちゃんねるのニュース速報板に「君が代不起立」などのスレッドが飽きもせずに立つが、流石、日本の癌として活動を続ける日教組の執念深さには、売国主義者として畏敬の念を抱かずにはいられない。
 起立斉唱を求める県教育委員会の通知を巡り、135人の売国奴の方々が相変わらずろくに仕事もしないで自己のイデオロギー主張にはしるという素晴らしい国賊的態度で、身勝手な「思想・良心の自由」を掲げたが、判決が当然のように、「起立斉唱の義務を負う」と認めなかった。これに対し教職員らが、相変わらずの見当違いの怒りをあらわにしたという。
 判決後に地裁近くで会見した國賊団長で県立高教諭の三輪勝美さん(56)は「思想・信条が尊重される社会であってほしいという願いを、判決はすべて打ち砕いた」と、自分勝手な個人主義ばかりがまかり通る社会にならないことを憤った。
 しかも、「国旗国歌に格別否定的な感情はない。」とか、「日の丸のデザインは嫌いではないし、国際試合では特別な物」などの噴飯物の嘘と詭弁を擁し、「自由に教員が議論する民主的な学校の崩壊を象徴している」という、自分自信が歪んだ解釈で学校、生徒、ついには日本国そのものを崩壊させようとしている態度は売国奴として立派な馬鹿者であると言えるだろう。
 このような売国奴として立派な馬鹿者を擁護する毎日新聞も朝日新聞と並んで立派に売国活動をしていることは、まさにマスコミの偏向体質そのものを表しており、売国主義を広めるための心強い支援団体であることを確認した。

毎日新聞 2009年7月17日 地方版
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090717ddlk14040269000c.html
國賊新聞
参拾号

 この件に関しての毎日新聞の小見出しは、“◇新味のない判決”であり、これは新味のギャグのようだが、書いている当人は余程、思想のバランスを欠いているようで素晴らしい。
 「国旗国歌訴訟で横浜地裁は、最高裁判例(07年2月)を踏襲し、全くの新味のない判決に終わった。『敬意表明の強制』という教職員側の新たな視点は一顧だにされず、判例の壁に阻まれた。」というのが、実に素晴らしい。地方版とはいえ、3大紙と称する毎日新聞がここまで馬鹿な記事を書くとは、最早脳細胞が末期的な状態になっているとしか思えない素晴らしさである。
 判例というものが絶対的なものではないのは当然としても、その判例を覆すだけの根拠も無いのに、「新味が無い」というのは何か?まさか、目新しければそれで良いと思っているわけではあるまい(ただし、常人の予想を超えるお花畑に住んでいる人々なので、あながち否定はできないが)。
 「敬意表明の強制」という教職員側の新たな視点云々はもう聞き飽きた感もあるが、筆者も小学校時代、教員に家に帰ってまで勉強を「強制」される宿題というものに苦しんだ経験があるし、「授業中に騒いではいけない!」と内心の自由を妨げられた経験がある。
 しかも中学や高校の時にはブン殴ってやりたいと思うような教師を理性という「新味のない感情」で抑制して行動に移さなかったが、これら個人の主張は今後すべて実行に移されるべきであろう。学級崩壊は国家崩壊の始まりとも言え、このような活動やそれを擁護するねじ曲がった根性のマスコミが多数存在することは日本にとっての不幸であり、売国主義者にとっての幸いである。

 そもそも、自らのイデオロギーを振りかざし、裁判等で忙しいために本来の仕事は全くしていないという國賊の方々は、日の丸嫌いなくせに何故か“親方日の丸”にしがみついているのである。
 なぜなら、私立学校であれば、仕事もせずに自らのイデオロギーばかり振りかざし、自分の義務を果たさないことを棚に上げて国家批判ばかりを繰り返すというゴミクズ以下の素晴らしい売国奴の方を雇わないからである。
 無制限の自由が存在し得ないのは、主体思想を唱えるどこぞやの国が「共和国」だの「人民民主主義」だのというお題目を国名に冠していることでもわかる。つまりは、単なる反日思想に屁理屈を被せているわけだが、売国主義を貫くためには「歪んだ思い込み」こそ大切なのである。
 その歪んだ思い込みを大々的に擁護することこそ売国マスコミの使命である。この使命感を試すために下記のような質問メールを毎日新聞宛に送ってみた。

 2009年7月17日 地方版の社説について

 毎日新聞 2009年7月17日 地方版に「国旗・国歌訴訟:請求棄却 教職員ら、怒りあらわ」という記事がありますが、「新味のない判決」とはどういう意味でしょうか?
 判例が変わらないといけない理由は何でしょうか?
 判決に「新味」が必要な理由を明確な形で教えてください。
 でないと、毎日新聞のイデオロギーに沿った判決が出ないからと単にそれを中傷しているように読み取れます。
 それならそうと自覚しないと偏向報道に呆れた読者離れが進むだけですよ。
 納得のいく返事をお待ちしています。


 結果→しかと

 実に素晴らしい売国機関であることを再確認した次第です。


いいかげんにしろ日教組


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