http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001515420020725009.htmより

第9号 平成14年7月25日(木曜日)

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平成十四年七月二十五日(木曜日)
    午後一時三十分開議
 出席委員
   委員長 玉置 一弥君
   理事 大野 松茂君 理事 仲村 正治君
   理事 浜田 靖一君 理事 山口 泰明君
   理事 末松 義規君 理事 渡辺  周君
   理事 田端 正広君 理事 藤島 正之君
      石破  茂君    岩屋  毅君
      木村 太郎君    佐藤  勉君
      虎島 和夫君    野呂田芳成君
      平沢 勝栄君    米田 建三君
      江崎洋一郎君    大出  彰君
      前原 誠司君    山田 敏雅君
      河合 正智君    西村 眞悟君
      赤嶺 政賢君    今川 正美君
      粟屋 敏信君
    …………………………………
   議員           小池百合子君
   防衛庁長官政務官     木村 太郎君
   参考人          有本 明弘君
   参考人          有本嘉代子君
   参考人
   (元日本経済新聞記者)
   (ジャーナリスト)    杉嶋  岑君
   参考人          李  昌成君
   参考人
   (現代コリア編集長)
   (東京基督教大学教授)  西岡  力君
   安全保障委員会専門員   鈴木 明夫君
    ―――――――――――――
委員の異動
七月二十五日
 辞任         補欠選任
  川端 達夫君     山田 敏雅君
  赤松 正雄君     河合 正智君
  藤島 正之君     西村 眞悟君
同日
 辞任         補欠選任
  山田 敏雅君     川端 達夫君
  河合 正智君     赤松 正雄君
  西村 眞悟君     藤島 正之君
同日
 理事藤島正之君同日委員辞任につき、その補欠として藤島正之君が理事に当選した。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 理事の補欠選任
 国の安全保障に関する件

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     ――――◇―――――
玉置委員長 これより会議を開きます。
 国の安全保障に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として、有本明弘君、有本嘉代子君、元日本経済新聞記者・ジャーナリスト杉嶋岑君、李昌成君、現代コリア編集長・東京基督教大学教授西岡力君、以上五名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中にもかかわりませず本委員会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますよう心からお願いを申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、有本明弘参考人、有本嘉代子参考人、杉嶋参考人、李参考人、西岡参考人の順序で、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のために申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないこととなっております。あらかじめ御承知をいただきたいと存じます。
 それでは、有本明弘参考人、お願いいたします。
有本(明)参考人 紹介にあずかりました神戸の有本明弘です。よろしくお願いします。
 本日は、外務省がかなり大きな問題を抱えていますので、私も外務省のかかわっている問題に関してのみ発言させていただきます。よろしくお願いします。
 本日は、安全保障委員会にお呼びいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 一九八八年九月、娘たちによる北朝鮮からの手紙を受け取り、自民党幹事長の事務所に持参して、警察庁、外務省に秘書同伴の上、救済をお願いしてまいりました。
 翌年、竹下総理が、国会において、前提条件をつけずに北朝鮮と話し合う用意があると発言しました。私は、娘たちのこともよい方向に進むのではないかと思っていました。
 一九九〇年九月二十四日、自民党、社会党連合で訪朝が決まりました。訪朝する自民党、社会党の幹事は、外務省と何回となく会議を持ちました。そのことは新聞で報じられています。
 一九九〇年九月十九日、これは訪朝の五日ほど前と思います。私は外務省に行き、訪朝団はこの問題を避けて訪朝しようとしている、この問題が後から出るようなことになると大変なことになる、このやり方は私は不満である、上司によく言っておいてくださいと抗議をしております。
 そこで、外務省にお尋ねいたします。先遣団との会談を明らかにしていただきたい。これが一つ。
 一九九一年中ごろ、警察庁が田口八重子さんの実在を明らかにしました。外務省は、日朝交渉の場で、田口八重子さんの件を持ち出しました。新聞報道で、これは明らかです。このときにも外務省に出向きました。その場しのぎの外交をやっている。私としては、見ておれませんでした。
 外務省での発言です。あなたのところが田口八重子さんだけをお話しするのはおかしいのではないか、警察がここまで踏み込んだ以上、あなたのところは全員の釈放とか名簿を出せと言うべきではないのですか、すると、この交渉はつぶれるはずだ、そしたら、あの人たちに後始末をしてもらうべきだと抗議しています。
 すると、一週間もかからなかった。遠藤氏という人から電話が入った。その電話の内容は、前にお話ししたことは生きているので黙っておってください、近日中に神戸の方へ行きますのでという電話であった。
 そこで、外務省にお尋ねしたい。私と外務省担当者しか知らないことが遠藤氏になぜ知れるのか、お答え願いたい。
 問三。第一回目の米支援のときに、条件をつけてくださいとお願いしました。後日のあかしのため、ファクスを入れました。三学生の釈放をなぜ言えなかったのか、お答え願いたい。
 そして、質問される先生方に、私の今までしゃべったことの含まれているコピーの資料をお渡ししています。そのコピーについて、ちょっと説明をさせていただきます。
 コピーの赤丸のついた一番、二番。これは、一九八八年にこれだけ有力な拉致資料がありました。
 三番目。訪朝団の、これは九〇年九月二十四日の訪朝のときの決まり方です。
 四番。米支援では、韓国は条件をつけています。我が国も条件をつけてくださいと外務省に要請しました。そのあかしのファクスです。
 一九九五年三月十日、外務省にて救済の要請をし、記者会見をしました。これは六番ですね。共同さん、産経さん、二社が取り上げました。外務省は、省内での記者会見でないようにと要請がありました。どこに気を使っているのか、それも私たちは知りたいと思います。
 資料の五番。これは、一九九一年一月、マスコミ各社が大きく報道しました、遠藤氏の要請により記者会見が成立しなくなり、マスコミが取り上げなくなりました。以後、このビラ五百枚を作成、マスコミ各社に協力をお願いしてきましたが、電話一本の取材もありませんでした。警察庁記者クラブのだれかが石高さんにファクスしたらしく、一九九五年一月四日、石高さんが取材に来てくれました。その結果、家族が一緒に行動するようになりました。これが家族連絡会結成です。
 十年前のマスコミ各社の上層部の人は、なぜこの救済の協力のお願いに無関心であったのか、お知らせください。この場をおかりして、お願いしておきます。
 以上です。
玉置委員長 ありがとうございました。
 次に、有本嘉代子参考人、お願いします。
有本(嘉)参考人 神戸の有本嘉代子でございます。きょうは、お招きいただきましてありがとうございました。
 私どもは、とにかくいなくなりましたのが、一九八三年の六月末の手紙をもって、五年間というものは全然連絡がなかったんです。五年後に北海道の方から手紙が入りまして、北朝鮮にいるということがわかりました。それで、とにかく主人と二人で、どうしたらいいのか全然わからなかったものですから、最初に警察とか外務省とか行きましたけれども、全然進展ないままに今まで暮らしてきました。とにかく家族会ができるまでは、私ども家族だけで動きましたので、どうしたらいいかわからないままに過ごしてまいりましたけれども、五年前に家族会ができまして、皆さんと協力して、応援してくださる方もたくさん地方にできて、私たちは今心強く思っております。
 でも、国として、余りこういうことを言ったらいけないかもしれませんけれども、とにかく国としてどのように取り組んでくださったのか。私たちの気持ちが皆さんわかっていらっしゃるのか。十九年、二十年、横田さんの場合だったらもう二十五年になります、この間、本当に親として子供のことを案じない日は一日としてありません。とにかく一日でも早く帰ってほしい。
 私たちも年がいきます。それが今、このごろでは、年を重ねるごとに、体の調子もちょっと悪くなるときがあります。そうしますと、私ども、子供が帰るまで元気でいられるだろうか、それが今一番不安なんです。だから、国はどのようにして今までしてくださったのか、それが私は知りたいです。
 だから、外務省へ行きまして、一番最初に行きましたときは、国交がないからねとおっしゃって、もうそれでおしまいでした。国交がない場合はどうすることもできないんでしょうか。そこのところが私たちはようわからないんですけれども、最初は全然何もかもわからないままで、無我夢中で動いておりました。とにかく、二十年間、二十五年間の親の気持ちを察していただいて、とにかくもう待てないんです。今でしたら、もう親たちが、皆年がいってきます。そうすると、体調も悪くなります。だから、毎日が不安なんです。だから、どのようにして、国交がなかったらもう交渉はできないんですか。
 それで、向こうへ外務省が言うたということは新聞でも見ますのでわかるんです。向こうへ交渉に当たってくださる方が、こういうことがあるんだからきちっとしてくださいと言われたら、その言われっ放しで、あとは何にも。言うたらそれで責任が済んだんじゃないんです。私たちの子供がここへきちっと帰ってきて、それで初めて責任が果たせたと思うんです。
 だから、何とか、子供がどうしたら帰れるかということを、皆様頭のいい方ばかりがそろっていらっしゃるんですから、それを皆さんで考えて、いい方法をとにかく皆さんで相談していただいて、一日も早く子供たちが帰れるように毎日祈っております。母親としては、もうそれだけです。とにかく子供の顔が見たい、そればかり思っておりますので、どうぞこの気持ちを察していただいて、どうしたら私たちの子供が帰れるか、それを皆さんで相談していただいて、いい方向に持っていっていただきたい、それだけが私たちの願いです。家族全員、そう思っております。どうぞ、この場をかりてお願いします。よろしくお願いいたします。
玉置委員長 ありがとうございました。
 次に、杉嶋参考人、お願いいたします。
○杉嶋参考人 このたび、参考人として意見陳述する機会をお与えくださいまして、まことにありがとうございました。
 私がなぜ北朝鮮に拘留されたか、また、その経緯につきましては、月刊文芸春秋の五月号に私の手記として明らかにしましたので、それをごらんくださいまして、この席では割愛させていただきます。
 私は、拘留生活を送る二年二カ月の間、日本人としての誇り、人間としての誇り、自分自身としての誇りを精神的な核として厳しさに耐えて、そしてたった一人で北朝鮮全体と戦っているのだ、そういう自覚を持って身を律しておりました。
 しかし、抑留の全生活を通じて、日本国の政府による救出の動きがさっぱり伝わってこなかったどころか、北朝鮮の担当調査官や情報機関トップらに、おまえは日本国から見放されているぞと言われ続けていたために、私は、邦人救出の義務を外務省や政府は怠っているのではないかという不信感に強く駆られまして、解放の日に家族とともに外務省の官吏の方が北京に出迎えに来られたときに、正直、ぶん殴ってやろうとさえ思ったほどです。
 ところが、私の家内によりますと、水面下で大変な御尽力をしてくださっていたということを私は知りまして、誤解が解かれまして、大変感謝している次第であります。
 ただ、気になりましたのは、日本へのトランジットで、北京空港で、日本に帰る間待合室で、出迎えの佐藤審議官、佐藤重和審議官ですが、私が帰国するに当たって、北朝鮮から謝罪を求めると同時に身の代金も要求されたのではありませんかと尋ねましたところ、はい、そういうことがありましたと言われましたので、それではどのぐらいでしょうか、一億円ぐらいですかと聞いたら、いや、そんな多くはないよと言いましたので、一転して私は、二千万円ぐらいではありませんかとお聞きしました。まあそのぐらいでしょうということでしたので、まだ払っていませんか、もう払いましたかと聞きましたら、まだ払っていませんということだったので、いや、それは払う必要はございませんよ、特にこれは私自身の問題でもありますから、もし一けた下がって二百万円ぐらいであれば、私が分割払いでも自分のお金として払いますと申し上げました。その後、二千万円程度、すなわち二十万ドル程度ですか、それが本当に政府、外務省が北朝鮮に払ったのかどうかは私は知りません。
 しかし、私が佐藤審議官に払わなくてもいいと申し上げたのは、私が抑留生活中に、私の身柄の扱いが、北朝鮮側がどうも政府間取引の対象に転化したのではないかと考えまして、これでは困るなと思いまして、北朝鮮の担当官に、日本国政府に私の件で謝罪を求めるときにそれは文書の上だけでしょうねとお聞きしました。すると、そのとおりだと言って金銭絡みを否定しましたので、私は佐藤審議官に、払う必要はない、こう申し上げた次第です。
 しかしながら、実際には、私の危惧したとおり、身の代金を要求してきたわけです。ですから、彼らの立場からいうと、保釈金の位置づけかもしれません。しかし、身の代金は身の代金ですから、私は、このように他国の人間を二年二カ月にわたって拘束し、抑留をし、そして釈放するに当たって身の代金を要求するというのは、とても民主主義国家のやることではない、民主主義を標榜している国ではないということを感じております。
 私が見た北朝鮮の内外政策というのは、パルチザン的発想と手法で貫かれておりまして、主観の論理、そして力の論理しかない国です。このような国は、相手が自分より強くて、団結して真剣に挑んでくると譲歩する可能性がありますけれども、とても尋常な話し合いでは応じるとは思えません。
 ですから、我々は、拉致問題にしても、他人事のように考えず、国民一人一人が自分自身の問題としてとらえて、打って一丸となって政府を支援し、また、政府はそれを受けて、小細工などせず、正々堂々と毅然として対北朝鮮政策をとってほしいと思っております。
 私は、社会主義が計画経済を遂行する上で必要とする強大な国家権力が必ず体制下の国民生活を圧迫するとの確信を持っておりましたので、六〇年安保の世代でありながら、当時、マルクス経済学者たちが、社会主義へ移行するのは人類にとって歴史的必然であると学生や社会を扇動していたことにも、本能的なおそれと疑問を抱き続けておりました。
 日本経済新聞に入社後も、なぜ全世界が社会主義化しないのか、それどころか社会主義諸国の経済発展がなぜおくれているのかをみずから検証するために、旧ソ連、旧東ドイツ、中国、ベトナムなど社会主義国めぐりをし、この延長線上に北朝鮮があったわけであります。
 私は、一九八六年の第一回の訪朝の後、同じ日本経済新聞社に勤めている同僚記者に、内閣情報調査室と公安調査庁関東公安調査局に連れていかれまして、その当局から日本の安全のために協力してほしいと懇請され、ささやかな愛国心から協力を約束しました。
 内調で私を担当したのは、当時一課課長代理で防衛大学一期生の内山實人氏と調査官の小島勝成氏でした。一方、公安庁は、担当官が何人もかわりましたけれども、私が拘束される寸前の担当官は黒岩和英氏と小林又三氏でありました。正直申し上げて、私は、この人たちに協力することこそが、愛する祖国日本の平和と安全を守り、祖国への忠誠心を示すことだと考えて協力に励みましたが、結局彼らに裏切られた思いです。
 といいますのも、この人たちは、特に公安庁に手渡した写真やビデオ、供述資料、これがことごとく北朝鮮情報当局に渡ってしまっていることが取り調べの初期の段階で露呈され、慄然としました。これはもう機密が漏れているというより、敵国側に情報提供するシステムができ上がっているとしか言いようがありません。情報を保管している部屋に出入りできるすべての職員が疑わしいとさえ言うことができます。私は、第三者機関によって徹底した調査が行われるとともに、利敵行為を働いた者には厳罰に処する法律を早急に整備してほしいと思っております。
 情報戦争激化の今日、収集と同時に情報の管理もまた重要さを増しております。日本国及び日本国民に対する忠誠心に満ちた、真の意味で国益とは何かのわかった質の高い職員で情報機関を再構築するべきではないかと考えております。私が北朝鮮に拘留中、情報機関のトップの秘書は、私に、日本の公安はざるのようなものだ、内調もよく似ているけれども、少しガードがかたい程度である、日本全体は、防諜関係からいったら全く丸裸同然であると言われました。何たる屈辱かと思いながら、私はじっとこらえて聞いておりました。
 私の身柄引き取り交渉に進展が見えず、日本国政府の態度に業を煮やした焦りからか、二〇〇〇年六月二十一日にピョンヤンで記者会見を開き、日本国政府に圧力をかけるという計画がございました。そのとき、私の担当調査官は、日本の有力メディアが、とにかく一発記者会見をピョンヤンで開いてくれれば、我々はそれを受けて日本の政府に働きかけるということになっていると言いました。私はびっくりしまして、私の帰国運動に名をかりた身の代金要求交渉を進めようとしている北朝鮮のお先棒を担いでいる日本の有力メディアはどこかと考えました。帰国後、そうした北朝鮮側の情報操作の受け皿が何とTBSだったことを、家内へのTBS外信部長岡元隆治氏の手紙で判明しました。
 二〇〇〇年六月二十一日夜、私がまだ北朝鮮で裁判も受けてなく、したがって有罪判決も下っていないのに有罪判決だと報道し、驚いた家内がTBSに問い合わせた手紙を出したのでした。TBSは、とんでもない誤報をして我が家庭を苦しめたばかりでなく、図らずも北朝鮮の情報操作に踊らされたことを暴露する結果になりました。同じ日の午前十時に予定されていたピョンヤン・人民文化宮殿での私の記者会見が急遽取りやめになったのは、恐らくTBSが私の身柄についての報道をするということで北朝鮮側と話がついたということを、今にして合点がいく次第であります。
 ですから、今後日本のマスメディアは、北朝鮮とのパイプづくりには、決して独占情報欲しさに北朝鮮側の言いなりになって大金を使った上に利用されないよう十分注意し、軸足はあくまで日本に置き、日本の国益を守り抜くように心してほしいと思います。
 最後に、国家機関が善意の国民に協力を求め、それによって生じた国民の受難に対しては、何らかの公的な謝罪や補償があってしかるべきではないかと思います。特に公安庁のように、頼むときは頼んで、その国民が受難に陥ったとき、知らぬ存ぜぬのトカゲのしっぽ切りのような扱いでは、だれもそのような政府機関を信用して安心して協力しなくなります。これは有事法制以前の問題です。
 日本が有機的統一体として機能し、かけがえのない祖国の平和と安全を守り、新しい時代の国民的連帯感を醸成するためにも、政府と国民が信頼関係を築く道筋を政府は率先して示すべきではないでしょうか。
 御清聴ありがとうございました。
玉置委員長 ありがとうございました。
 次に、李参考人、お願いいたします。
李参考人 私は、韓国から来ました李昌成と申します。どうぞよろしくお願いします。
 私がきょうここに来たのは、在日総連に訴える気持ちがいっぱいありまして、皆様方に私の意見を聞いてほしいと思っております。どうぞよろしくお願いします。
 私たちは北朝鮮から韓国まで脱出した人ですけれども、私は、日本から北朝鮮に帰国しました。
 その当時、在日総連から北朝鮮の宣伝をどういうようにやったかということを私がここでお話ししたいんですけれども、例えば言えば、総連で、今の北朝鮮は五〇年、五三年まで戦争をやり、六年間の間に建設をしたから、まだまだこの先建設をしなきゃいけないので、日本におる六十万人の中で北朝鮮に来て社会主義建設に励んでくれ、そういうように総連で宣伝したときは、私たちもそれが理解できて、そういうように苦しい状態にあったら、日本におる在日朝鮮人たちが北朝鮮に果たして帰国したのか。私たちはだれ一人も帰国したと思わないと思います。
 その当時は、在日総連では、北海道から九州までどこにも総連の会がありました。それで、総連の宣伝では、北朝鮮に行けば民族差別もないし、そこに到着すれば家もくれるし就職も立派なところもある、むしろ日本より発達しているんじゃないか、そういうように総連で宣伝したわけです。
 だれもが、私も総連に何日か努めて行ったんですけれども、北朝鮮は状態がどうですかと私は聞いたんですけれども、北朝鮮は日本よりも差別はないし、選挙もできるし、自分の自由に学校も行けるし、自分が行きたい就職もできる、日本よりももっと差別がないから、朝鮮に行けば立派にこの先は発達して立派な人間になれるんじゃないか、そういうように在日総連が六十万人の在日朝鮮人たちに宣伝したわけです。その中には、二千人足らずの日本の妻たちもおったと思います。
 総連でこの宣伝をしたのが、日本よりももっと発達したと、そういう人をおだて、うそをつき、そうやって行くから、まだその当時、日本に住む朝鮮人たちは歴史が長いから、その当時、成功して発展して、だれかは何億も金を持っている人もおったと思います。また、生活に少し困って、自分の家もなくて、人の家の横で暮らしている人もおったと思います、私が見た目では。その当時が六二年ごろだったんですけれども、私たちが日本で生まれ、日本で生活をしながら、六〇年、六二年には、日本はできるだけの世界的に発展ももう十分にできた、その当時もできたと、私たちは自分の目で見てそれはもうわかっております。
 私たちは、そういうように総連で言われて帰国をするようになって、親兄弟を置いて私は一人で帰国しました。日本の妻たちも、何人かは私の船で一緒に行った人もおります。
 だけれども、総連で宣伝するよりも、北朝鮮のチョンジンという港へ着いたときに、帰国者たちがその船から下を見るときに、果たしてどんなように感じをしたか。船から私はおりぬ、私は日本で生まれたのに、お父さん、お母さんが行こう行こうよ、私は日本に残る残ると言いながら、お父さん、お母さんが行くからついていったけれども、下を見れば、本当に自動車もない、自転車もない、オートバイもない。私は四月に行ったんですけれども、その国は風が強く吹くからほこりだらけで、風も吹くし、みんなの服装を見てびっくりしたわけですよ。日本に私たちが比べて、これでも果たして国なのか。
 総連の人たちはどうしてそう言うて、うそをついて私たちを北朝鮮に送ったのか。北朝鮮がこういう状態であれば、一人も行く人はおらぬじゃないですか。日本の妻たちは、自分の民族は日本人として親兄弟に殴られながら、総連の人たちが、里帰りもできる、日本よりももっといいからと言うて、そういうように宣伝し、子供もおるから、自分のだんなさんに連れられ、北朝鮮に行ったけれども、行ったそのときから、十年、二十年、三十年、四十年の期間、一日もお父さんや兄弟を忘れずに、私たちも帰国して苦しく生活はしましたけれども、日本人の奥さんたちを見てお話をすれば、涙から先に出るように、本当にちょっとかわいそうな気持ちがあって、当時、生活も困るけれども、何かあめ玉の一つでもあったら日本の奥さんにやったこともありました。
 それでも私たちは、北朝鮮の帰国者たち、日本生まれの帰国者たち、そして二つ目は日本生まれの日本の奥さんたちの代表として、ここまで来る人は一人もおらぬ。だれかが日本に行って、帰国者たちとか日本の妻たちが苦しく死んでいく、私たちが死んでいくこの歴史をだれが残してくれるのか。例えば私が来てこういう会議へ参加せずに、だれもこういうことを言わなかったら、あの国ではかごの鳥で、だれもこれを見ることも何もできないから、この先もそういう歴史が残らないじゃないですか。
 私は、この会議で皆様方に、はっきりとした、そういう北国の恐ろしい政治、開放もしない、その国の偉いさんたちは自分のことだけ考えて、下の労働者たちは死んでも知らぬ顔、食べ物はやらぬでもいい。日本からもアメリカからも韓国からも相当な食糧が行っても、労働者たちがその米をもらったのか。一日、二日くれて、その先はくれないんですよ。それは社会主義で、日本と違って自分で自由に商売をしたり食堂をしたり工場を持つ国じゃなくて、食堂とか何かは皆国が持っているから、個人ではないわけでありますので。
 それで、帰国者たちの、日本人の妻たちの残念な無念を、日本の政府に、私は代表として訴えるものです。だれもが、今まで日本人たちが、それはひどいひどいと言うても、北朝鮮がそんなにひどいのかそうは想像できない。実際にそこに行って暮らしてみた人は、人生は五十年で、私は、四十年で人生が皆そこで終わりました。昔は、人生は日本では五十年ですよ。皆終わり。
 果たして、あの国に対して、今帰国者たちがそこに残り、日本の妻、悲しい妻たちが残って、苦しんでから相当次々に死んでいく。九五年からは配給、給料も一銭もない。日本とかそういうほかの国では、自分で自由に働いて金をもうけ、米も買うことができるけれども、その国、社会主義の国は、国から米をくれなかったらどこでも食べ物が何もない、金もくれない、これはもうどうして暮らしていくのか。
 五〇年代は戦争のために何百人も死に、九〇年代の何年かの間は戦争よりももっと相当な人が飢え死にになって死んでいく。それを私たちは、地元の人はその運命に対してその国で生まれたから仕方がなく、私の人生はそういうものだけれども、日本から行き、帰国し、日本人妻たちが、何にも罪のない人間たちがそのように死んでいくのは、これはどういうことなのでしょうか。
 帰国者たちは朝鮮人として行ったとしても、日本の日本人は、総連の人たちはどうして、総連の人たちは罪があるんじゃないんですか。六〇年代の人たちがそういうように宣伝した、帰国者たちをおだてて、北朝鮮に帰り、総連はどんなに罪を持っているか。
 また、総連で働いていた人が、これは北朝鮮とか総連とかそういうものはだめだと。出た人に聞いてみれば、本当に、総連におるときにそういう宣伝をして、北朝鮮に行って死んで、何かと言うたらそういうふうに私は罪を犯した、そういうように出ている人は皆反省をしている。
 今、この日本の中に在日総連の人間たちは果たして何を考えて、何をしているのか。北朝鮮の子分か。米もくれぬ、食べ物もくれぬ、金もくれぬ、着る物もくれぬ、その国を何で応援をして、人を苦しめるのか。在日総連も朝鮮人として、帰国した人も朝鮮人として、残念な無念を、死んでいく残念な無念のことを私が代表として日本の政府に総連を訴えることしかありません。
玉置委員長 ありがとうございました。李参考人には引き続き質問のときにお答えをいただきたいと思います。
 次に、西岡参考人、お願いいたします。
西岡参考人 西岡でございます。時間がありませんので、早速本題に入らせていただきます。
 本日、衆議院の、それも安全保障委員会でこの北朝鮮問題、特に拉致問題を中心として話ができることを喜んでいます。
 北朝鮮問題の本質は安全保障問題なんです。今、日本人妻の問題も出ましたし、拉致問題、そして杉嶋さんの問題もありますけれども、つまり、日本の主権と日本人の人権が侵されている、そういう問題なんです。そこに本質がある。ですから、安全保障委員会で正面から議論していただきたい、そういう点できょう呼んでいただいたことを喜んでおります。
 拉致問題を中心にお話を申し上げます。ことしの三月、日本政府は、先ほどお話しされた有本お父さん、お母さんの娘さんの恵子さんを、北朝鮮に拉致された日本人として追加で認定しました。これは金正日が直接命令をして拉致した、そういう事件です。なぜそう言えるかといいますと、一九七六年に金正日が、工作員の現地人化教育を徹底して行え、そのためには現地人を連れてきて教育に当たらせよという命令を出しているんです。このことは、複数の北朝鮮から亡命してきた元工作員が確認しています。
 ですから、金賢姫さんというのは日本人に化けていたわけです。その化ける日本人化教育の教師が田口八重子さんだったんです。一九七六年にこの命令があって、七七、七八年に拉致が多発しているんです。それで、金賢姫は八〇年に党に召喚されて工作員になった。彼女の同級生はあと七人いた。全員が日本人に化けたんです。つまり教師が八人いたということです。この命令によって行われたのが拉致です。
 そして、この重大な主権侵犯、人権侵害に対して、これまで日本政府は実はどのような対応をとってきたのか。一言で言って、見捨ててきたと私は言いたいと思います。
 まず第一に、日本政府は、今認定しているだけで十一人、私たちの推定では七十人ぐらいいると思っていますけれども、この事件について、最初わからなくてやられてしまって、最近になってわかったのか。違うんです。最初からわかっていたんです。やられているということをわかっていながら、次から次へと拉致され続けていったんです。
 なぜそう言えるか。日本政府が認定している拉致の第一号は一九七七年九月十九日に起きます。二十五年前です。これは、東京の田無に住んでいる李さんという在日朝鮮人が、日本人のある人をだまして石川県の海岸に連れていった。そうすると工作船が来ていて、ゴムボートで工作員が来てその人に渡した。その後、その李さんは現場で逮捕されているんです。第一号の拉致で現場で犯人が逮捕された。そして、李さんが今言ったことを自白したんです。
 そして李さんの自宅を、これは東京の田無にあったわけですけれども、家宅捜索したところ、北朝鮮は深夜に数字で暗号放送をしてくるんですけれども、その暗号を解読する暗号解読表が出てきた。その解読表を使ったら暗号が解読できたんです。石川県警はそれで警察庁長官賞をもらったんです。しかし、このことは全く公開されず、李さんは不起訴処分になってしまった。
 第一号がこうなんです。一号がこうだったとしたら、二号目からはそこで対策をとればいいじゃないですか。わかっていながら何もしなかった。だから、横田めぐみさんの御両親があそこにいますけれども、その二カ月後にめぐみさんはさらわれたんです。
 そして、次の年の七八年七月七日、七夕のときに、福井県の小浜市で地村さんと浜本さんが失踪しました。婚約中だったんです。お父さんが舞鶴の海上保安庁に行ったところ、七月十日、十一日に小浜湾に不審船がいた。保安庁は追いかけた。追いかけて領海の外に追い出した。無線の傍受から北朝鮮の工作船だと思われるという話を聞いているんです。
 しかし、現在海上保安庁は、一九七八年には不審船事件はなかったというふうに言っています。舞鶴に行くと、当時の資料はないというふうに言っていますけれども、当時はお父さんにそう言っているわけです。これはきちんと調べていただきたいと思います。
 つまり、アベック拉致事件の第一号がこの地村さんの事態なんです。その後七月三十一日、八月十二日と起きたんです。工作船がいたんですから、それを捕獲していれば二人を救えたかもしれないし、それを逃がしてしまったんだったら、この次に工作船が来るのを押さえれば、海上警備行動をかけるようにすれば、入ってこないようにしていればあとの四人は助かったんです。
 そして時代は下がりまして十年後、一九八八年三月、国会で初めて、参議院の予算委員会で梶山静六自治大臣・国家公安委員長が、三件六人のアベック拉致について、「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」という歴史的答弁をしたんです。しかし、マスコミは書かなかった。朝日、毎日、読売は一行も書かなかった。そして、国会でもそれ以上追及はされなかった。だから大事件にならなかったわけです。当時そこで、国会で、衆議院と参議院で拉致の解決のための決議が起きて、家族を呼んで審議をすべきだったと思いますよ。しかし、それがされなかった。
 そして、九〇年には警視庁が、先ほど言った金賢姫の日本人化教師の田口さんを拉致したと思われる重要な容疑者の、在日商工人の安という人が関係がある、それは私はそのときの警察のつくった内部資料の書類を持っていますけれども、九〇年五月十日付で総連と彼の自宅に家宅捜索令状が出て、彼の手下で田口さんと一緒に歩いていたと思われる男に逮捕状がとられたんですけれども、その執行の直前に打ち切られた。
 これは活字になっているんですけれども、文芸春秋の九八年六月号で、警視庁関係者の言葉として、「金丸訪朝で潰された」というふうに活字になっています。そして、昨年の十二月十六日付の産経新聞を見ると、金丸さんから圧力がかかって、朝鮮総連に対する外国人登録法違反の捜査が中止になった、そのことが明らかになったと産経新聞も書きました。それは同じものなんです。これは活字になったことだけ私は申し上げています。
 そして、金丸訪朝があって日朝交渉が始まったわけですけれども、有本さんたちはもう子供から手紙が来ているんですから、その前からわかっていて取り上げてくれと言ったのに、本交渉で有本さんのことは取り上げなかった。田口八重子さんのことを第三回交渉で一回だけ取り上げた。その二年前の国会で答弁したアベック拉致は一言も言わなかった。これが日本政府の対応です。国会で、拉致の疑いが十分濃厚と言いながら、交渉で取り上げなかったんです。そして、家族会ができてやっと取り上げるようになりましたけれども、その後も、日本政府は現在まで北朝鮮に米支援を続けているわけです。百十七万トン、費用は千六百億円です。
 普通でしたら、主権が侵害されたならば制裁をとるんです。これは国連憲章でも認められている権利ですね。しかし、恩恵を与えた。では、幾ら小泉さんがサミットに行って協力をお願いしますと言っても、北朝鮮を孤立させてくれるな、北朝鮮を助けてくれと言っているわけですよね。主権が侵害されていて助けてくれと言っていたら、では、その程度だ、日本は真剣に思っていないというふうに各国は思いますよ。
 ですから、家族が今真剣に求めていることは、北朝鮮に対して制裁措置を発動してほしいということです。そして、もしも被害者に危害が加われば日米安保も発動してほしい、これは安全保障の問題だ。領土が侵されて国民が連れ去られている。まだ帰ってきていない。
 日本政府は、実は過去に三回、北朝鮮に対して制裁を行っているんです。やったことがないんじゃないのです。八三年のラングーン爆弾テロのとき、八八年の大韓機爆破事件のとき、九八年のテポドン一号発射のとき、三回です。やっているんです。これは、日本人はだれもけがはしていません。韓国人が死んだり、テポドンのときはだれもけがしていませんね、外国人が被害者だったり、あるいはミサイル発射実験には制裁措置をとって、日本人が政府の発表でも十一人、二十年以上帰ってこれないで、家族が生き地獄の苦しみをしているのに援助をしている、制裁はとらない。こんなばかな政策があるでしょうか。
 アメリカ政府は、テロということについて、秘密工作員または国家より下位の集団により、非戦闘員を対象として行われる計画的、かつ政治的動機に基づく暴力行為、こういうふうに定義しているんですね。これとぴったり合うわけです。秘密工作員が行った非戦闘員に対する暴力行為ですよ。これはテロなんですよ。
 ところが、警察白書で、これは平成九年版だけに大きく書いてあるんですけれども、「国際テロ情勢と警察の取組み」というところに拉致のことが書いてあるんですけれども、ここでも「日本人ら致容疑事案」として、北朝鮮によるテロを列記した部分には書いてないんです。そして日本政府は、これがテロなのかどうかということについて言を左右にして、テロだと言わないんです。テロだとしたら制裁しなくちゃいけないわけです。国際社会がみんなで協力してテロに制裁をとっているわけです。だから大韓機爆破事件もラングーン事件でも、日本人は被害されていないのに制裁をとったんです。
 家族たちは、政府は、特に外務省に行きますとそうなんですけれども、粘り強く真剣に取り組むと言っている、しかしその言葉ばかり聞いてきた、何にも情報もない、わからない。これでは政府の本音は、実は、家族がみんな死んでしまって、うるさくなくなるまで粘り強く取り組む、そういうことにも聞こえてくるという声が出ています。
 そして、家族会に参加していた家族のお一人、先ほど言った小浜の地村さんのお母さんがこの四月に亡くなりました。息子さんを奪われたショックで脳梗塞になって二十年以上寝たきりで、お父さんがずっとおむつの世話をしながら、四十万人以上の署名を集めたんです。どんなに無念だったかと思いますけれども、間に合わなかった。
 横田さんのお母さんが書いた本がここにあります。その中で、娘は、お父さん、お母さん、いつ迎えに来てくれるの、なぜ迎えに来てくれないのと今も思っている、そう思うといても立ってもいられないと書いています。私たち日本人は、あるいは日本政府は、お父さん、お母さんというこの言葉を、母国日本はいつ来てくれるんだというふうにめぐみさんたちが今も思っていると思って毅然たる対応をとるべきだというふうに思います。安全保障問題としてぜひ取り上げてください。
 以上です。
玉置委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
玉置委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石破茂君。
石破委員 参考人の皆様、きょうは本当に御苦労さまでございました。貴重な御意見をいただきまして、心から感謝を申し上げたいと存じます。
 今、西岡先生がおっしゃいました、本当にまさしく拉致問題というのは、また北朝鮮問題というのは安全保障の問題である、私どもはそのように考えております。きょうここにおります委員の中にも、同じ思いで家族の皆様とともに行動しようというふうに尽力をしておる者も大勢おります。
 私は、一度しか北朝鮮という国に行ったことはございませんが、あれはやはり極めて異常な国だというふうに正直言って思っています。
 ただ、何で日本政府が、もちろん私どもの政府が、我々も含めて、主権とか領土とか、そういうものに対してまことにもって感覚がない、そういうふうな意識がない、そのことは本当に認めざるを得ないだろうと思っています。これは拉致の問題に限らず、竹島だってそうですよ、北方領土だって、尖閣だってそうなので、国家主権というものをきちんと認識をしていない、この国は国家の体をなしていない、そのことをよく私どもは認識をしていかなければいけないし、これを変えていかなければこの国の将来は多分ないのだろうというふうに思っています。
 ただ、政府がどうも、太陽政策というのか包容政策というのか、お米を出しましょうとかいうことをやりますよね。あのときに、私どもは政府にこんなことはおかしいではないかということを言うのですが、そうしますと、いやいや、強硬な姿勢に出れば拉致された人たちの命がどうなるかわからないということを一つ言いますね。もう一つは、余りに追い詰めて暴発したらどうするんだということを言うわけであります。私ども、そう言われますと、特に、拉致された方々の命がどうなってもいいのかね、やはり米を支援し、何とか北朝鮮の理解を得て、やがては解放してくれるのを待つんだということを言うわけであります。
 そしてまた、以前、拉致された方が突然外国にあらわれた、シドニーにあらわれるとかロンドンにあらわれるとか、そういうのがいいんじゃないかなどという話をされた方もあるやに聞いておりますが、私は本当にそんなことはあるのかねという気がして仕方がない。
 私どもは、本当に毅然として行動したいと思うし、あわせて制裁もやりたいと思っているし、そして国際社会の理解もやはりこれは得なければいけない。日本だけが幾ら言っても、やはりこれは私ども、総理にも申し上げているのですが、拉致の問題はテロと一体だと私は思っているのですよ。大韓航空機を爆破した、それは金賢姫であり、その先生が李恩恵であって、だとすればテロと拉致というのは表裏一体のもの、一心同体のものだから、これは国際社会としてそういうことをやっていこうという話もしておるのであります。
 西岡先生に承りたいのですが、拉致された方々の命というものと、私どもが北朝鮮に対して強い姿勢で臨むということを、これをどのように両立をさせていったらいいものだろうか。私もきちんとした答えがないので、承りたいのですけれども。
西岡参考人 大変難しい問題ではあると思います。御家族が五年前に家族会を結成されるときに悩まれたのがそこです。名前を出して訴えることがマイナスになるかもしれないということを考えられたわけです。しかし、結論から言いまして、家族会をつくって、集会をして、アメリカまで行っていろいろ訴えましたけれども、私どもが入手した確実な情報で、この五年の間、家族の身の上に何かマイナスが起きてはいません。それは複数の韓国亡命者などの情報から断定して言えることでありまして、結果として、運動をしたことによって何かマイナスが起きてはいません。
 そして、理論的に申し上げましても、つまり、一番危ないのが日本国内で関心がないことです。関心がなければ、なかったことにしてしまう、日本人もなかったことだと思っているということになります。しかし、決定的な証拠を持っているんだ、いるんだ、わかっているんだということ、そして日本人が怒っているんだ、日本の国会も怒っているんだ、これは主権侵害なんだ、このままほうっておいたらば日本がいつ制裁措置をとるかわからないんだ、国際制裁がかかるかもしれないんだという緊張関係を持っていれば、彼らは重要な人質として持っておくと思います。
 ですから、一番危ないのが、関心がなくなってしまうこと、あるいは日本政府が態度を緩めることですね。我々が米支援に反対した理由はそうなんです。何にも北朝鮮が拉致問題で譲歩しないのに米支援をしたらば、日本は拉致問題があっても大規模な援助をしてくれるというふうに向こうが誤解する。そうしたらば、なかったことにしてしまってもいいと思うんですよ。ですから、必ずリンケージしなくちゃいけない。拉致問題について何らかの進展がない限り、日本から物は行かない。完全解決と私たちは言っていません。何らかの実質的な進展とリンケージすべきだ、そのことが安全を守る一番私たちの持っている手段だというふうに今思っています。
石破委員 ありがとうございました。
 私もそうは思っているんですよ。つまり、私どもは米を送り、KEDOに支援をして、里帰りもやって、納税者の負担によって。それで何が起こったかというと、ミサイルは飛んでくるわ工作船は来るわ、これはどう見たっておかしい、我々の方が不感症なのではないか、こう思ったりもすることはあるのですよ。ですから、変な例えかもしれませんが、やくざもみんないい人なので、やくざにせっせと何か支援をすればいつか真人間になるだろうと考えるのがおかしいのと一緒で、やはりそういうようなことはやるべきではないのだろうと私は思っている。
 昨年末の東シナ海沖の銃撃戦がありました。幸いにして人命の損傷はなかったのだけれども、けがをした人はいます。あれが北朝鮮の工作船であることがはっきりすれば、私どもは制裁措置というのをきちんと考えるべきなのではないだろうかというふうにも思っております。
 それからもう一つ、これは感想めいたことで恐縮なんですが、私は今から十年前に、金日成の生誕何十周年か、八十周年かな、というので行ってきました。行ってきて、正直言って心底もう怖かったですね。こんな国が我々のすぐ近くにあるんだということが怖かったですね。チャウシェスクがあれを見ておかしくなってしまったのはなぜなのか。それは号令一下で人が動くというあの人間の本能的な快感みたいなもの、自分の言うことに人が一糸乱れず従うという快感みたいなもの、やはりあれを見ると人はおかしくなっちゃうんじゃないかという気がする。
 そしてまた、これは外交官の方々にそうであるということを言うのは、断定することも何にもできないけれども、この日朝の交渉を我々の手でやり遂げましょうというようなことに妙な使命感のようなもの、つまり、この問題というのは中に入れば入るほど見えなくなってしまうのではないか、事の本質が見えなくなってしまうのではないか、そういう気もしておりまして、客観的な態度も必要なんだろうと思っています。
 もう一つ西岡先生に承りたいのですが、国連は何をしてくれるんだということなんですよね。我々は、日本が主権国家としてとるべき道はきちんととっていきたい。我々は、政府・与党としてきちんとやっていきたいし、野党の心ある方々とも一緒にやっていきたい。しかし、拉致された家族の方々が国連人権委員会に訴えられましたよね。それでも、それはもうほとんど却下に近いものである。しかし、今の国連人権委員会の仕組みというのを見てみますと、非自発的思想というのか何というのか、どこでもいいのですけれども非常に暴虐な国があって、そこの反政府的な人たちを連れ去ってどこかへ隔離してしまおう、そういうことはけしからぬのだということはどうもあの人権委員会の対象であって、よその国の人を拉致してしまうというような、まさしく国家主権の侵害のようなことは国連人権委員会は実は対象としていないのではないだろうか。
 だとするならば、我々は、本当に国連の最大のドナー国として、これだけお金を出しているわけですから、こういう枠組みはちゃんとつくってください、食糧でもそうでしょう、IAEAでもそうでしょう、ちゃんと査察をして、北朝鮮が、そんな問題ありません、行方不明者は捜したけれどもいませんでしたというようなことが、本当にあなた方そうなのかいということを国際社会がきちんと監視する仕組みをつくらないと、このことは実は解決しない、解決の一助にもならない。国連に対してそういうことを訴えていくのが一つのやり方ではないかということで、私どもは多くの議員と図っておるところですが、いかがでしょうか。
西岡参考人 おっしゃるその人権委員会に対しては、実は、私も、家族と御一緒に昨年の三月に国連人権委員会を訪問して、言ってきたわけですけれども、おっしゃるとおり、人権委員会でできることは、それぞれの主権国家に対してこういう事案がありませんかというふうに言う、情報をつなぐということで、日本政府は人権委員会に情報を出したわけですけれども、その情報を北朝鮮に持っていったら、北朝鮮は協力できないと拒否したということで、主権国家の主権の壁に阻まれてしまったということです。
 私は、先生がおっしゃるとおり、人権委員会ということの枠ではなくて、主権侵害ということもあるわけですから、安保理事会ですね、大韓機爆破事件やラングーン・テロ事件は、安全保障理事会に出ているわけです、テロだということで。ですから、そういうところで、日本の主権が侵されて、日本人の人権が侵されている、これは日本の主権の侵害だから日本は自衛権を発動することもあり得るけれども、それ以前に国連が中に入って強硬なことにならないようにやってくれというふうに強く訴えるということが、国連加盟国として日本に許されている手段だと思います。
石破委員 では、杉嶋さんにお尋ねをしたいのですけれども、私も、杉嶋さんが文芸春秋にお書きになったのを、すぐ発売の日に買ってきて読んだのですよ。読んで、これは本当だとすれば大変なことだねと。ある意味、余りに、これは本当なのということが信じられない思いがしたのですよね。
 あの中に書いておられますように、三つの条件を出されたんですよね、日本へお帰りになる場合に。一つは、日朝友好のために尽くしましょう。二つ目は、共和国の悪口は言いますまい。三つ目は、そこで起こったことは口外しない。三つのお約束を全部たがえておられるわけですよね、今。と思いますよ。それは使命感に基づいて、愛国心に基づいてということは、今お話を承りましてよくわかりました。ただ、私ども思いますに、そういうことを信じるほど北朝鮮というのは甘い国なんだろうかねという感じがどうしてもする。
 つまり、有本さんのお母さんがあるいはあの手記に書いておられる中にあったかもしれないけれども、拉致された方々が、ひょっとしたら違う人になっちゃっているのかもしれない、マインドコントロールがかかって。つまり、金王朝というのかな、そういうものを本当に崇拝して、革命の同志だというようなことになってしまって、マインドコントロールがかかっておるのかもしれない。では、その人たちのマインドコントロールがかかったままであればどうなるのか、それが解けてしまったらどうなるのかということを、向こうは思うはずですよね。
 北朝鮮の人たちもプロですから、杉嶋さんがマインドコントロールにはかかっていないということは知っておったはずだ。そして、この三つの約束を多分守らないであろうということも知っておったはずだ。にもかかわらず、なぜあなたは帰ってこられたのかということなのですよ。
 そして、公安とか内調が全部情報を流している、私は十数年こういう問題に携わっていますが、日本の公安とか内調とか、そんなにいいかげんだとは思わないんですよね。もちろん、完璧だとは言いませんよ。しかし、お書きになっておられるように、すべての情報が全部向こうに流れているとすれば、これは間違いなく国家公務員法違反ですよね。事件になるべきものですよ。正直言って、にわかには信じがたい。
 マインドコントロールにもかかっていない杉嶋さんが、なぜ日本に帰ってこられたと、御自身お思いになりますか。
杉嶋参考人 私も、そのことをいろいろと考えていました。どういうことかといいますと、本当に帰るということが決まったのは、私は二月十二日に釈放されたわけですけれども、その前日になって、突然、きょうのあした帰れと、帰してあげると。それは、向こうの説明によりますと、家族からの嘆願と外務省からの嘆願、それを考慮して、おまえは我が国の主権を侵害したという大罪を犯したにもかかわらず、とにかく寛大な措置を施すことにした、こういう形で釈放するという理由が、表向きの理由だと思います。それが、私に通告された理由でした。
 しかし、私は、今、石破先生がおっしゃられたように、自分で向こうで見ていて、そう簡単な国ではないということは認識しております。ですから、もっと大きな政治力学というか、国際社会の政治力学が働いたのではないか。よく言われているように、ブッシュ政権が悪の枢軸の中に北朝鮮を位置づけたとか。
 あるいは、私自身が考えて、私自身が向こうに抑留されている二年二カ月の間、実に宿舎が六回ほど、最初に捕まったのがピョンヤンホテルというところで、次がピョンヤン郊外の山荘のところ、それから市内にまた戻りまして、また炊事婦のおばさんの妹さんのうちのところに行って、また戻ってきて、最後に羊角島国際ホテルというところに入ったわけですね。その転々としている中で、私の取り扱いそのものが、実に質的な変化があったわけです。
 最初の一年近くの間は、おまえは自白すればすぐにでも帰すということで、何を自白するかは、正直、私、自分自身がスパイの自覚がないものですから、何を自白すればいいかわからないということは、文芸春秋にもお書きしました。それで、最初の一年は、実に待遇がよかったんですね。この国が果たして食糧危機の国であるかどうかというようなことを感じるぐらいでした。
 ところが、捕まって、翌年の二〇〇〇年の四月五日から日朝交渉が始まったわけですけれども、どうもそのあたりから向こうがいら立ちを見せ始めまして、日本国政府はおまえを見放しているということを言い始めたわけです。そういうことで、全く私自身に、日本国政府を非常に中傷誹謗というわけじゃないけれども、とにかくおまえは見放されているということを言い始めまして、そういうことから、私の扱いが、宿舎が変わるごとにだんだん落ちていったわけですね。実に質的に落ちていって、食糧危機の国だというのを実感し始めまして、これは長期戦になることを覚悟しているからそうなったんじゃないかと思っていたわけです。
 先ほど陳述の中で申し上げましたように、はっきり言って、どうも日本国政府と北朝鮮との間で、私の知らないところで何らかの取り決めというか、何かがあったのではないかと。それが成立したから、逆に帰ることができたのではないかと。
 簡単に言えば、向こうは私が謝罪すれば、要するに罪を犯した人間でなければ捕まることはしない、それにもかかわらず日本国政府は何もおまえに対しての謝罪がない、おかしいじゃないかと。ですから、私は、謝罪をするに当たって、どうも身の代金要求があったんじゃないかと。向こうは、先ほども申し上げましたように、それは保釈金の扱いであるのではないかと思うんですが、とにかくそれが成立したから、私の利用価値としては今が、簡単に言えば、取引としてずっと北朝鮮にとどめておいても厄介であろうと。
 常に私のところに、我が国が今経済的に大変苦しいときにおまえを捕まえていると、では放せばいいんじゃないかと思ったんですが、とにかく、そういうときにおまえを拘留しているんだと。つまり、私自身を拘留すること自体がもう既に負担になっているような、そんな言い方をしておりました。だから、それで、多分政府間取引か何か成立したからじゃないかなというのが、私の推測です。
石破委員 有本さんの御両親、そして向こうに横田さんの御両親もいらっしゃいますが、私、有本さんのお母さんが書いていらっしゃるように、日本の政治家に北朝鮮から金が渡っておって、私は本当のことは知りませんよ、渡っておって、であるからこそ腰が引けているんじゃないかという疑念すら持ちたくなると、お書きになっていらっしゃる。
 私は、実際のことは知りません。ですけれども、私たち日本の政治家というのは、そんないいかげんな者ばかりではありません。だから言うのをやめようとか、だから強く出るのをやめようとか、そういうような者は少なくともきょうのこの場には一人もおらないと、私は確信をいたしています。
 私たちは、本当にこれを主権の問題としてきちんとやっていこう、私も子供を持つ親として、自分の子供がそういうことになったらば、私も日本海側にいる人間ですけれども、これは本当に、とてもいても立ってもいられない。
 私はいつも思うのですが、皆さん方が怒っておられるのは北朝鮮に対してもそうですし、同時に、我々日本政府に対して、本当にこれでも国家なのかということを問いかけていらっしゃるんだろうというふうな認識を持っております。
 そのような思いで、私ども、これから皆様方の思いがかなう日まで全力で取り組んでまいりますことを申し上げまして、質問を終わります。
 ありがとうございました。
玉置委員長 次に、渡辺周君。
渡辺(周)委員 民主党の渡辺でございます。
 きょうは参考人の皆様方、ありがとうございます。それでは、質問をさせていただきます。
 この北朝鮮の問題というのがクローズアップされたのが、正直申し上げましてベールに包まれた国であった。そして、一部のジャーナリスト等は北朝鮮ウオッチャーということでずっと追いかけてきた。ところが、日本には北朝鮮に関する文献も少ない。そして、これはかねがね言われていることですが、シンクタンクのようなものもない。何よりも秘密の国でありまして、テレビカメラやジャーナリストもほとんど入ったことがないという国でありまして、非常になぞめいた中で、このような国を隣国として、我が国は極東の中で安全保障を考えてきたわけであります。
 そして、軍事的な脅威はさることながら、この拉致問題という、まさに先ほど来お話があったように、日本の主権が侵されている、しかし一体日本の政府というのは何をしてきたんだということを、我々も憤りを感じているわけでございます。
 そしてさらには、ことし起きました例の瀋陽での領事館の脱北者の、あのハンミちゃんの家族が領事館の鉄格子にしがみついて自由への脱出を試みた。彼らは、帰国後捕まって公安当局、北朝鮮に送り返されれば国家反逆罪で、恐らく死を意味する収容所に送られるということに、まさに必死の抵抗をしたわけでありまして、あの映像が流れたことによって、大方の日本人が、まさに、なぜそのようなことが隣国で起きているのかということに強いショックを受けたわけであります。
 本日は、来られております李さん、脱北者、北朝鮮から逃げた方が、史上初めてこの国会の場でお話をされるということでございます。
 李さん、ぜひお尋ねをしたいのですが、なぜ北朝鮮から自由への逃亡を試みたか、北朝鮮という国に四十年近くいながら、どうしてその国から中国へ逃げたのか、その背景についてぜひお話をいただきたいと思います。
李参考人 私は、日本から北朝鮮に帰国して四十年で韓国に来たんですけれども、四十年という期間、長い人生で、今さっき言ったように、帰国した人たちは北朝鮮のあの国を見て初めはびっくりし、それで港へ着いてから、皆が私たちと同じような考えをしたんです。
 それからまた、日本から来る総連は、自分が自由に行ける、就職とか自由にどこでも、その中では自分勝手にできるようにしたけれども、私たちは学校、学校だけじゃなくてそういう自分勝手に行くところが一つもなくて鉱山の方に、それからまた日本から家族で来た人はアゴジの炭鉱の方に、それからまたその中で財産を持ってきた人たちはピョンヤンの方に、そういう差別が相当ありながら、時期を見たら四十年という季節がその中で流れたんです。初めは、これはこの国では暮らすことはできない。若者たちが、何とかして中国か香港かどこか逃げていこうと思う人が一人二人じゃなくて、初めは相当におりました。だけれども、あの国の政治の怖さを知って、死刑になる人もおるし、政治犯で収容所に送られ、またけられ、殴られ、死ぬ人もおる。
 それから、そのときの政治は、国境を中国に渡って逮捕されれば、直ちに死刑とか収容所に送られて、そういうことを見たら、この先まだ若いから生きていく道もあるし、何とかその国で、七年計画でバンドを締めて、腹が減っても七年計画をすれば白米、肉、また服、立派に発達していくから七年間我慢、バンドを締めて頑張ろうよと。それで、全国で七年の間一生懸命仕事をしながら、晩にもし、朝もしても、何回やってもそのままだし、四十年前から今まで、何一つ生産をしたものはありません。何一つありません。
 ただ一つ、政治の怖さそれ一つで、開放もしない国で、私たちは悲しみの中で、日本人の妻とも四十年の間をその中で暮らしてきて、私も一人で帰ってスパイとかなんとか怪しまれることもあり、本当にここでは皆様方が考えることじゃなくて、私たちが実際にそこで見てきたところは、ここに座っている人も、例えば想像はできないと思います。果たしてそんな国もあるのか。
 ここの政府の人たちも、ピョンヤンに行った人もおるかわかりませんけれども、ピョンヤンに行けば、あそこはちょっと何か建設もして、皆いいところばかり見せて、こういうようにサービスをしてやるから、まあ田舎の方もそんなふうに思うけれども、平壌だけあれは建設して、ほかのところは、田舎の方は全然高速道もないし、自動車もないし、何もない。
 そうして私たちは四十年間暮らして、時間がないから一から十まで説明はここでできないのですけれども、それから四十年という季節が流れ、九五年、九六年からは配給も一つもくれぬ。工場に行っても金も一銭もくれぬ。また、工場に行っても生産をするものがない。だから、一カ月、二カ月、農業へ行って働いて、農業を何とかしてやっていこうといっても、そこに行っても食べ物がないから弁当を持ってこいと言われて、配給もくれないのに弁当があるのか。
 それで、ここで私たちが言いたいことは、四年、五年の間に想像もできない人が死んでいった。それでまたそこの国民たちは何を言うかといったら、私たちはこうやって食べ物もないし、今言ったように食糧がないし、金もくれぬし、この先はどうやったら暮らしていけるのか。国民たちが言うのは、私も何回も聞いたことがあるんですけれども、何とか戦争でもやって、こっちが勝つか、あっちが勝つか、そういうような考えを起こす人もたくさんおる。また、その北朝鮮におる国民たちはかごの中におるために、海外のテレビとか海外のニュースを聞かなくて何も知らないわけですよ。だから、北朝鮮の法律だけ知っているわけです。
 そういうような国民たちでおるので、私がこうやって北朝鮮から中国へ豆満江を越えて逃げるのも、家族みんなが北朝鮮におれば犠牲になって、確かに死んだかもわかりません。北朝鮮から日本に電話をするのも相当難しいし、中国に行けば自由に電話もすることもできるし、中国に行って、農業に行って、働きながら何とかそこで生きながら、日本から連絡をもらって、お金でも少しもらって北朝鮮へ帰ろうかなと思うけれども、中国まで来たから何とかそこで頑張って、韓国に行くように日本の私の親戚たちが努力をして、私たち韓国に来たんですけれども。
 とにかく、食糧を一つもくれないから、私たちも、またほかの人たちも、多いときには、北朝鮮から中国へ逃げて仕事したり、逃げた人が三十万人ぐらいおったということです。
渡辺(周)委員 済みません、お話ししたいことはたくさんあるのはやまやまで、残りはもう九分しかありませんので、端的に短くお答えください。
 しかし、今お話があった、自由がない、それと食糧がないということですが、我々は、日本の国は食糧を援助しているんですね。このことは知っていましたか。それからまた、それは届いていましたか。
李参考人 知っていました。日本から、韓国から、アメリカからも船が入ってくる。入ってくるのも秘密で入ってくるんですけれども、北朝鮮のウォンサンとかチョンジンの港に船が入ってきたら、人のうわさで米の船が入ってきたと。それで、米をくれると私たちも待っていたんですけれども、入ったときには、その米をどんなふうにくれるかといったら、一日か二日ぐらいくれるわけですよね。その余った米はどこに行くかといったら、その上の幹部たちに行って、その米をまた国民たちにやみで売るわけですよ。それでやみ市場があるわけですよ。
 だから、日本から食糧が北朝鮮に入ってきた、国民たちは、ああ、これは助かったな、十日ぐらいくれるのかな、五日ぐらいくれるのかなと思って楽しみに待っておっても、それはくれないで、果たしてその米が皆どこに行くのか。軍隊とか上の幹部とか、そういう人たちは皆配給をもらっているわけです。
渡辺(周)委員 そういう中で、我が国は何とかして日朝交渉をしようとして、扉をこじあけようとしてきたわけであります。しかし、残念ながら、それは一部の幹部のところにとどまることはあり、またやみ市に流れることはあっても、結果として、まさに直面する飢えをしのごうとしている方々のところへ届かないという現状があると我々も聞いているわけであります。
 そして、お尋ねをしたいのは、この脱北者、北朝鮮、きのう、きょうも、連日のように中国にある韓国の領事館には逃げ込んでいるわけでございます。
 これから先、この脱北者、李さんと同じように中国の中にいた脱北者の方々は、これから韓国にまだまだ亡命をする。つまり、中国の中の政府、中国の政府が北朝鮮と中国の国境の朝鮮族の町に隠れている人たちに対して摘発、取り締まりを強化しているというようなことも我々は承知していますが、この中国の動き、それからこの人道問題。パレスチナのまさに人道問題についてはこれは連日ニュースになりますけれども、隣国の北朝鮮と中国の国境におけるまさに人道問題、この点については、非常にまだ日本も韓国も反応がいま一つ大きくなってこないという中で、日本政府にこれから、例えば脱北者の問題についてどういうふうにしたらいいか、その点についてはどうお考えですか。
李参考人 私は、日本政府に訴えることもあるんですけれども、日本政府に訴えることは、この中国の瀋陽の日本の大使館、北朝鮮の難民たちが亡命を求めて日本の大使館に入ろうと思って、二人は入って、三人は、子供を連れながら、足は入って、何か中国の警察に捕まって崩された。それを私たちがテレビでも何回も、日本のテレビBS2で見て、また韓国のテレビでは一日に十回以上その写真を映して、私は見たんですよ。
 それで、大使館であって、ミグ大使館とかスペイン大使館とかカンボジア大使館、カンボジアじゃなくてほかの大使館たちは、難民たちがそこに入ったら、何も音もしないでそのままそこに入れて韓国に送るのに、日本の大使館は、どうしてそれを事情も聞かないで入った人間を出すのか。
 私たちは、法律はよく知らないけれども、また北朝鮮から、ほかの海外にそういう逃げた人がおることも私たちも聞いたことがあるんですけれども、一度その大使館に入れば、日本人の大使館に入れば、日本の国へ入ったような、一度入れば出さない、こういう法律があったことを私たちは聞いて知っているんです、勉強はしていないけれども。どうして日本の大使館はそれを中国の大使館の人にやったのか。それを見たら、日本の政府に、例えば日本の妻たちが日本の大使館へ入ったときに、あんな状態では、例えばもらってくれるのか。私が目で見たときは、日本人の大使館の人は、政府は、難民たちを助けるそういう気持ちが少しでもあるのか。あれを見れば、中国におる難民たちも、手を挙げて、日本の大使館の前には近づく人もおらぬと私たちは思います。私が一人で言うんじゃなくて、皆、逃げた人は私と同じようなことを言うんですよね。
 それで、世界じゅうの人がそれを見て、日本が恥じゃないんですか。これから先は、その大使館の中に三十人おったとしたら、例えば一人でもしっかりした人間がおったら、人がそういうふうにやったら、それを受け取って事情を聞くのが当たり前だと、私は必ずそういうように日本の政府に訴える、訴えようと思っているんですよ。
渡辺(周)委員 もう一回ちょっと、私の質問は、瀋陽の大使館の、領事館の反応はもちろんなんですが、これから脱北者の対策をどうするか、つまり、摘発を恐れて中国の中に隠れている人がいるわけです。李さんは幸いにして二年間身を潜めることができましたけれども、その方々に対して我々は、韓国やアメリカと手を組んで、やはり中国当局にプレッシャーをかけて、人道問題として救わなきゃいけないと私たちは思っている。ですから、その点についてはどうお考えですか。最後にそれを伺います。
李参考人 私は、今の中国・瀋陽のチュングの大使館に対して言ったんですけれども、日本の政府の人もそういう人ばかりじゃなくて、難民に対して考える人もたくさん私たちもいると思います。それを私は見込んで、この先、日本の政府も、国連も皆知っているそういう時代で、日本の政府も中国に逃げてきた難民たちを何とか助けてやってほしい。大使館のそういうことが二度とないように、それを日本の政府が協力して、何とか難民たちを助けてやるのは、そうやったら日本の政府も、時代が変わりながら、それがまた日本の政府も変わってくるんじゃないのか。それは世界で皆見ているから、国連でも見ているから。それで、ああ、日本は本当に難民たちを何とか救って、助けてやるという気持ちは、世界じゅうで見て、見た皆信用するように思うから、これから先は日本の政府が、中国へ来て、もし捕まっていけば、無期懲役に行き、殺され、そういうことを考えて、何とか日本の政府の努力で、協力で、難民たちを、日本に今日本人の妻たちを連れてきても、何とか協力して助けてやりたいことを終わりに私たちは申し上げます。
 ありがとうございました。
渡辺(周)委員 実は、質疑時間が終了してしまいました。本当は杉嶋参考人に一つ伺いたかったわけですが、次の機会にぜひと思います。非常に短い二十分という時間でございます。お尋ねする時間がなくなりましたことをおわび申し上げます。
 李さん、ありがとうございました。
玉置委員長 次に、田端正広君。
田端委員 公明党の田端でございます。
 きょうは、参考人の皆さん、大変にお忙しいところありがとうございます。また、貴重な御意見、切々と訴えられて、本当に身にしみる思いでございます。
 私たちも、この問題に対しては党内にプロジェクトチームをつくりまして、これまでも勉強してまいりました。きょうはまた、こういう機会を持っていただきまして、実際にそういう関係する立場の方から生の声をお聞きして、なお一層、また、大変大事な問題だという認識を改めた次第でございます。
 それで、西岡参考人にお伺いしたいと思いますが、先ほども、今までの経過等も含めてお話ございました。それで、実は、現在進行形といいますか、テロという犯罪が国際社会の中で、こういう形で、今まだ明らかに続いているわけでありますが、これは、どういう背景といいますか、どういったことからこういうふうになったのか、その辺のところをどういう分析をされているのでしょうか。
西岡参考人 まず、現在進行形のテロだという、全く正しい認識で取り組まれていることを敬意を表したいと思います。私ども、全く同じ考えを持っております。
 その背景ですけれども、先ほど申し上げましたように、金正日が、工作員を外国人に化けさせるという命令を下すわけですね。実際、韓国で捕まった工作員の中には、フィリピン人に化けていた人とかマレーシア人に化けていた人とかいう人が今捕まっておりますし、また、韓国人に化けなくてはいけない、南北が異質化してきておりますので。韓国に入って、ソウル駅前でソウル駅はどこですかと聞いてしまうというケースがたくさん出てきて、七六年以降、韓国に入るためには韓国人に化けるという教育をすることになったということであります。
 では、なぜ工作員をそこまでして送るのかということでありますけれども、それは基本的に、北朝鮮が、韓国はアメリカ帝国主義の植民地であって、革命、テロ、戦争、どのような手段、方法を使っても解放しなくちゃいけないという認識を持っておる。それは労働党の党規約に書いてあるわけですけれども、それは今も変わっていない。その一環としてテロを考えており、しかし、テロをするときに自国の工作員がやったということがわからないために外国人に化けさせてテロをする。
 金賢姫のケースがまさにそうですけれども、テロをしながら、また日韓関係も悪くする、日本人のせいにしてですね、という悪らつな二重のテロを考えた。これは七六年に命令して、金賢姫の爆破事件は八七年ですから、十年以上の間を置いて緻密に準備された日本人をかたったテロであった。それは、韓国を解放するために、日韓関係を弱め、ソウル・オリンピックをやめさせるという大目的がそこにあったと思います。
田端委員 西岡参考人、一九七〇年代、八〇年代に集中的にといいますか、起こったように思いますが、まず、この日本の関係者で、先ほど八件十一人でしたか、という正式に認定されている数がございましたが、しかし、推定数は六、七十人とかというお話もございました。その辺の状況をもう少し詳しくお願いいたします。
西岡参考人 これは、先日行われました参議院の外交委員会で警察庁の漆間警備局長も答弁していらっしゃったんですけれども、警察庁は、拉致容疑事案としては今おっしゃったように十一人なんですけれども、それ以外に、拉致された可能性がある事案というリストを持っているというふうに国会でおっしゃいました。ただし、人数は勘弁してほしいということだったんですけれども、我々が聞いているところでは、それが合わせて四十数人いると。十一人以外に三十人ちょっとの裏リストの候補、可能性があるリストがある。
 この可能性があるという件については、橋本総理大臣が総理大臣として訪米して最初にクリントン大統領に拉致問題を言及されたときも、可能性がある者を入れるともっとふえるというふうに公式に話していらっしゃいます。そのものがあると。有本さんのケースなんかは、その可能性のあるところから今度は容疑に上がったわけですね。そういうものがあって、それが四十ちょっと。
 それ以外に、海外で、よど号の妻たち、よど号グループが、有本恵子さんなんかまさにそのケースですけれども、今回八尾恵という容疑者が、自分がやりましたと自白しているわけですけれども、その関係者から聞いている情報などを総合すると、海外からやられているのが、ヨーロッパだけではなくて、南米なども合わせて二十人ぐらいいるのではないか。それを合わせて、ですから六十人から七十人ぐらい。石原慎太郎知事は、警察のOBから聞いたと言って、百人とおっしゃっていました。
田端委員 ありがとうございます。
 有本さんにお尋ねしたいと思いますが、きょうは本当に御苦労さまでございます。
 先般、七月の十日ごろでしたか、よど号のメンバー四人が逮捕覚悟で日本に帰るという意思表明をされているというニュースが伝わりました。それで、そういう意味では大変微妙な立場におられるのではないかと思いますが、八尾証言によれば、四人のメンバーの一人の安部公博が当時協力したと言われているわけでありまして、それが帰ってくるということが言われているわけですから、非常に複雑な心境ではないかとお察し申し上げるわけであります。
 そういうことも含めて、今回のよど号のメンバーのこの声明というものをどういうふうに受けとめられているのか、その辺のところをお伺いしたいと思います。
有本(明)参考人 私は、よど号の連中は全然信頼できない、向こう寄りの人間、向こうに自由に操作されている人間と思っております。
 そして、それに対して、金子恵美子、あれが日本の国へ帰ってくるということがわかりました。その時点で、警察庁に家族の方皆と行って、警察庁にお願いしました。あれが帰ってきたら、全面自供にとにかく追い込んでもらいたいと言うてお願いしました。
 でも、捜査当局は、全然それはできない、日本の法律ではあれを全面自供できない、それが日本の法律なんです。だから、僕は言いました。韓国ならば、あれはいちころにしゃべらすと。日本はなぜしゃべらせないのかと警察庁でも言いましたし、警視庁の取り調べ官にもそういうふうにお話ししました。日本の国の法がおかしい。こんな人間にしゃべらせない、この法律は、一朝有事のときには大変なことになるんですよ。これは日本の一般の法律以外の、刑法を早急にこさえてでも、これらの人間に対応する制度をこさえなければいけないと私は思っております。
 だから、警視庁は、あれはしゃべらせない、しゃべらせられないけれども、お父さんの意に沿ったような対応をするとおっしゃった。それで今の状況が生まれたと私は思っております。
田端委員 西岡参考人は、今のこの問題について、よど号のメンバーの帰国声明についてどういうふうに御判断なさっているのでしょう。政治的意図とかいろいろなことがあるんじゃないかと我々も思いますけれども、よろしくお願いします。
西岡参考人 端的に言って、アメリカ向きだと思っています。
 アメリカは北朝鮮をテロ支援国家として認定し続けているわけですね。テロ支援国家認定がついていますと、アメリカ政府は、国内法によって、アメリカからの経済援助はもとより、アメリカが加入している国際機関が北朝鮮を援助するといった場合に反対しなくてはならないという国内法があるんです。ですから、アジア開発銀行とか世銀とかが北朝鮮へ融資しようと思っても、有力な理事国のアメリカが反対するから自動的にとまるということになっているわけです。
 ですから、何とか北朝鮮はテロ支援国リストから外してもらいたいという交渉をしているわけですけれども、明白にハイジャッカーをかくまっている、これはテロを支援しているそのものだということで、それを何とかしたい。ブッシュ政権が強硬になってきて、北朝鮮を悪の枢軸、テロ支援国だというふうなことを言ったので、その圧力をかわしたい。そして、お父さんがおっしゃっていたように、彼らは完全に労働党の党員ですから、日本に来ても自白するようなことはない。逆に、日本国内で拉致問題などについて逆キャンペーンを張らすこともできる、日本に送っても利用価値がある、安心して、そしてアメリカの視線をかわそうと思っている、そういう背景だと思っています。
田端委員 杉嶋参考人にお尋ねいたします。
 今、よど号関係者の帰国の問題はアメリカ向けのメッセージじゃないかというお話が西岡参考人からございましたが、この問題について杉嶋参考人はどういうふうにお考えなのか。
 例えば、今もお話がございましたが、悪の枢軸という、つまり、アメリカ大統領の強い意思表明によって国際社会の中での立場、何といいますか孤立化しているこの立場、そこを大きく脱皮しよう、そういう意図といいますかそういうことを私たちも感じるわけですが、今回、杉嶋さんが帰国になったその時期ともこの発言は私は関係していると感じるわけで、そういったことについて、一連のこの国際社会の中での動きというもので、よど号事件の声明をどういうふうにお考えになっているか、お伺いしたいと思います。
杉嶋参考人 よど号事件の当事者たちと私は一九八七年の二度目の訪朝のときからのおつき合いがありまして、彼らの物の考え方とか祖国に対する思いとか、どういうビジョンを持っているかというようなことについてジャーナリストとしての興味がありましたので接触してまいりまして、三回目の訪朝のとき、一九九一年のときに、田宮高麿という彼らのリーダーに、私は、早く、正直言って日本の法律に従ってやれば出直しもまだ若いうちだからきくんじゃないか、そういうことを再三申し上げました。
 そうしたところ、我々はとにかく無罪だったら帰るけれども、そうじゃないと。最後の私が捕まる寸前に、一九九九年の十二月四日に拘留されたわけですけれども、その捕まる寸前まで一緒にいたわけです。同じような感触のことを彼らから得まして、その時点では帰るつもりはないということですけれども、私が想像するには、悪の枢軸ということで帰るんじゃなくて、彼ら自身はあの国において、正直言っていたたまれなくなったというか、いればむしろ自分の身が危なくなる。
 というのは、有本恵子さんの御夫妻がこちらにおいでになりますけれども、そのことについて彼らが関与したことを認める、あの国自身がそれを認めていないと言っているのに彼らが認めたということになると、あの国の方針というか認識と彼らとの間に違うものが出てくる。そういう政治的な判断の違いというものが彼らの存在を規定する上でかなり大きく働くんじゃないかと私は思います。
 ですから、いよいよ、とにかくこういうことが具体化してくると、あの拉致問題に日本ではかなり真剣に取り組んできている、国民世論が喚起されてきているということで、やはり自分たちも、この国は今までのような主張で無罪無罪ということでは通らないということで、彼ら自身が判断した問題というよりも、彼らとあの国との関係が、どうもちょっと認識の違いからいたたまれなくなった。それで決断に追い込まれたんじゃないか。
 そういう点で、西岡先生のさっきの認識ももちろんあると思いますけれども、私はそういう考えを持っております。
田端委員 有本さんのお母さんの方にお尋ねいたしますが、この拉致問題というのは、日米韓、これが協力するということはもちろん大切だと思いますが、しかし今回、国際社会に訴えるということで、国連の人権委員会の方を通して被害者の九人の方が働きかけているというお話を聞いておりますが、そういう意味で、国連の場で、国際社会の中で大きく問題にしていくということ、これもまた大きな闘いの要素だ、こう思います。
 その辺のところ、どういうふうなお気持ちでお母さんとして頑張っておられるのか、ちょっとお話ししていただきたいと思います。
有本(嘉)参考人 とにかく私が思いますのには、よど号の人が本当に帰ってくるなれば、はっきりと私たちがしたということを認めたらいいと思うんですけれども、長い間向こうにおりましたので、向こうの本当にマインドコントロールにかかってしまっているから、こちらへ帰ってきてもそれはちょっと言わないだろうと思うんです。だけれども、私がもしあの人たちに会える機会があるなれば、私たち、うちの娘を連れていった安部さんという人には一遍お目にかかって、どのように言って、どのようにして連れていったのかということをはっきり聞きたいと思います。
 国際社会にも訴えて、私どもの子供だけじゃなくて、やはりよど号が関係した人は、私は二十二人ということは大分前から聞いておりますので、その人たちの消息もきっちり、今わかっているだけで、名前を挙げておられませんけれども三人は確実にわかっておるんですけれども、あとの方たちも皆それをよど号の方たちが明らかにしていただいて、自分が連れてきた人だけは責任を持って、同じ日本人であるんですから、帰すというような方に持っていっていただきたいということをお願いしたいと思います。
田端委員 もう本当にお母さんのお気持ちというのは切々たるものがあるわけですが、今、日本の政府に対して、言いたい限りのことを、一言お気持ちを訴えていただきたい、こう思います。
有本(嘉)参考人 とにかく今まで、私どもは十九年になります。ほかの方は、一番長い方でめぐみちゃんは二十五年になるんです。その間何を考えていらっしゃったのか、それを一言聞かせていただきたいんです。どうしてこのことが明らかにできなかったか、その理由がもう本当に聞きたいです。
 自分の国の主権を侵されているんですから、何ぼ戦争に負けたといっても、それだけのことは外国にきちっと話をつけるのが、国としての責任があると思うんです。だから、どうしてこんなに長いことかかったのか、その理由だけは聞きたいと思います。
田端委員 李参考人にお尋ねいたします。
 今回、瀋陽の領事館の事件もありまして、北朝鮮の人々の亡命といいますか、そういったことが今国際社会の中でも大きな問題になっておりますが、そういうことと二重にすり合わせてみて、この北朝鮮の生活、そしてまたそういうふうな現象が起こっているということについて、率直な御感想があれば、お尋ねしたいと思います。
李参考人 私は、北朝鮮に対しては、ここに座っている皆様方に言うことは、あの国は想像もできない国だと私は思っておるんですよ。だから、今も拉致問題がある、そういうことを私はよく知らないのですけれども、したこともしない、そういうようにうそをつくのは、私はあの国で暮らしてよく知っているんです。自分がこうやってあの三十八度線で何かやっても、私はやっていない、向こうからやった、そういうことの立場をよく知っているんです。
 それで、私たちは、何か言うたら、帰国者たちが十万人と日本の妻たちが二千人足らずで、北朝鮮でそうやって苦しんで、苦しみながら死んでいく。苦しみながら、生きている人は今生きていると。そしてまた、北朝鮮におる日本の妻たちも、里帰りを自由にできるように、また、そこから逃げて、中国へ脱出して逃げて、また帰国者たちも逃げて、何人も韓国へ来た人はおりません。また、帰国者たちとか日本の妻たちも何人もおりません。
 私たちはだまされて故郷を離れて、もう四十年以上も苦労してきたのに、日本の政府で、北朝鮮におる人は連れてくることもできない。私たち日本の妻とか帰国者たち難民は、韓国へ来ておる人と、中国におる。また妻がおれば、帰国者たちがおれば、何人もおらない人たちは、生まれた故郷に戻ってきたい、日本の政府で何とか私たちを戻してくれないのか。親兄弟の墓もあり、親兄弟もおる。私は、一人で行った。私だけで言うんじゃない、帰国者たちを何とか日本の政府で、総連でこうやって送った人たちを、また逆戻りで何人かおった、北朝鮮の人は来られない。だけれども、横で、脱出して無事にここまで来た人は、日本の政府で私たちを何とか助けて、日本の政府で故郷の方に逆戻りして送ってはくれないのか。私たちの人生のしまいの希望が、一つここだけがありません。
 それでも、私たちは朝鮮人としても、生まれは日本だから、生まれた日本を故郷として、去年の十一月も日本に来ました。来たら、お父さん、お母さん、兄さんたちは皆死んで、墓参りをして、今、兄弟は何人も亡くなっておりますけれども、何とか、何人もおらない、そういう帰国者たちは日本の政府が協力して、力になって、私たちを助けて自分の故郷に行かすように、日本の政府に私は訴えようと思っております。
 よろしくお願いします。
田端委員 ありがとうございました。
玉置委員長 次に、西村眞悟君。
西村委員 有本さん、先ほど、気持ちを聞かせてほしい、どういう思いで過ごしておるのかと言われました。実は、私も同感なんです。家族の皆さんを初め、娘また息子が行方不明になって、何が起こったのかわからなくて、孤立無援でうろうろして、そして北朝鮮にいる、また拉致されたということがわかって愕然とする。そこで政府を頼る、日本国政府。そして、この国の政治をもって子供たちが助かることを願うわけです。そのときに、何を考えていたのかわからないような壁が皆さんの前に立ちふさがっている。私も、だれに聞いたらわかるのかと先ほどの発言を聞いて思っていましたけれども、これだけは言える。我が国のこの政治、この政府において、人権だ、平和だということを声高に言う者、そして言う党派に限って、具体的な、日本人の拉致という最大の人権侵害に対して極めて冷淡であったと。センサーがないのだということでありました。
 我々は、まだ発展途上といいますか、その意味においては、これからこの問題に対する取り組み方も、いまだに独立国としてなってない部分がある。したがって、ここではそういうことを言っても仕方がありませんけれども、それでも、のろのろとした歩みだけれども、何かが変わってきたことは確かでございます。
 したがって、御家族の有本さんとして、外務省は変わってきたのか、政治は変わってきたのだろうか。我々は、変えようと思って努力しています。努力しているけれども、皆さんの実感とは全く違うと思う。例えば、努力している、これだけ拉致問題が重要だとわかった中で、米支援に抗議して外務省と自民党の前に座り込んだ家族に向かって、国内でほえていても問題は解決しないのだと言った与党幹部がいた。ほえるという言葉は人間に使う言葉ではなかった。犬に使う言葉であった。私はその発言を見て愕然としたことを、いまだにそれを発言すれば、怒りが現在あるがごとくです、よみがえるわけでございます。
 さて、有本さん、我々の政治は変わってきたのでしょうか。この中の党派でも、拉致問題を認めていない党派があるんです、この中でも。変わってきたのでしょうか。これだけ、実感、ちょっとお教えください。
有本(明)参考人 拉致のことに関しましては、私が十四年前に子供たちの手紙を政府の方に持って上がりました。そのときと今と、何ら変わりはない、そういうような印象を持っております。
西村委員 解決するように、その実感は私は否定する資格がございませんので、我々としては、日本国の政治家である限りは頑張るつもりでございます。
 さて、具体的なことで、センサーがまだこれは、国家主権と人権の問題と、具体的な問題という前提においてまだまだ働いていないことがありますので、それを専門的に取り組まれ、研究している西岡さんに以下のことをお聞きします。
 まず順番にお聞きしますが、先ほど、日本人が拉致されたときに、小浜において不審船を海上保安庁が二隻現認し、無線もキャッチしていると。しかしながら、海上保安庁作成の七月二十二日付書面においては、「過去の不審船事案」と題する書面においては、昭和五十二年に二隻、五十五年に六隻は記載されておるけれども、五十三年の二隻は記載されておりません。これはいかなる理由によるのかということについては解明されておりますか。
西岡参考人 今、西村先生が取り上げてくださいました資料が、これです。海上保安庁がつくったものですけれども、海上保安庁がこれまで確認した不審船は、昨年の十二月を含めて二十一隻ということになっているんですけれども、おっしゃるとおり、昭和五十三年にはゼロということになっているわけです。しかし、小浜では、小浜に二隻ではなくて、小浜で二日ということです。ですから、それが同じものだったのか、二隻だったのかは定かではありませんけれども。しかし、それ以外に、同じ拉致事件があったとき、鹿児島でも一隻ということで、少なくとも二隻については、家族に対して保安庁が、いましたということを当時は言っていた。しかし、ここではないということで、マスコミが取材に行ったところ、資料がないと言っていると。これは、どこかの厚生省の何かを思い出すような答弁じゃないかと私は思っています。
西村委員 資料がないと。資料がなかったら事実はないのか、目をつぶれば世界がなくなるのかという話でございますが、私は、拉致された家族の切実な聞き取りの記憶の正確さを尊重するものであります。
 さて、先ほどの話では聞き捨てならぬことがありました。田口八重子さんの捜索、強制捜査令状をとって、しかもそれがなされなかったという。これは金丸訪朝団の問題に絡んだことである、金丸信、自民党の親分がこれをつぶしたのではないかということでございますが、そのときは自民・社会連合訪朝団でございましたが、これについては、いかなる解明が先生によってなされておりますか。
西岡参考人 個人の名前を挙げておりますので、大変慎重に申し上げますけれども、先ほども申し上げましたように、これは文芸春秋に、警視庁関係者と銘打って、「金丸訪朝で潰された」ということが活字で書いてあるわけです。そして、産経新聞の十二月十六日で、やはり金丸という固有名詞が出ていて、朝鮮総連に対する捜査がつぶされたことが明らかになったという記事が出ております。この二つが一致するわけです。そして、このことについては、私は、警視庁がこの安という人を疑うに足ると思っていた内部資料を持っております。ですから、根拠があるというふうに思っています。
 では、なぜこういうことが起きるのかということでありますけれども、金丸さんは脱税で逮捕されたとき、金庫の中から金の延べ棒がたくさん出てきた、これは広く報道されている事実であります。そして、その金の延べ棒には刻印がなかったんです。世界じゅうで刻印のない金の延べ棒をつくっている国は北朝鮮しかありません。つまり、純度を刻印しなければ価値がないからですね。
 また、私が所属しています現代コリア研究所の佐藤勝巳所長は、当時現職で、今亡くなられた自民党のある国会議員から、直接、金丸さんの自宅に行って、その金の延べ棒を一本見せてもらった、金丸さん本人が、これは金日成さんからもらったと言ったという証言を聞いております。そのことと、これがつぶされたことに何らかの関係があるのかどうか。大変疑わしいのではないか。
 もう一つ。私は、これは韓国の政府関係者から直接聞いておるんですけれども、この金丸訪朝の後、日朝交渉が進もうとしたとき、ブッシュ、お父さんの政権がとめに入った。その理由は、核開発です、北朝鮮が核を開発していると。そのとき、困っているんだ、核開発をしているという証拠を金丸さんに見せなければ進めることをやめようとしない、しかし証拠を出すとファクスでピョンヤンに行ってしまうというふうに、韓国の情報関係者が直接私にそういうことを言っていました。このことも今のことと関係があるのではないかというふうに思っております。
 知っている事実だけを申し上げました。
西村委員 過去の、センサーが働かなければ見過ごしてしまう事例二つのことを、先ほど述べられたので今お伺いしました。
 米のことについては、ほぼ、どういうからくりでそれが送られたのか明らかになっております。今からお聞きするのは、現在進行している事態についてどう思われているか、西岡参考人の意見をお伺いするのですが。
 現在、朝鮮総連傘下の朝銀、朝鮮信用組合が、全国に存在したものが破綻して、受け皿銀行をつくって、そこに公的資金を投入しつつありという状態であります。総額が一兆四千億円に上る金額が投入されつつありでございます。これについては、余り衆参両議院も取り上げない、超党派の議員連盟がやっておるだけだということで、投入されていく。これは、西岡参考人はどのように考えておられますか。
西岡参考人 先ほどの、核開発のときに、アメリカ政府は日本に対して、北朝鮮への朝鮮総連からの送金をとめろという強い圧力がかかりました。そして、私が内閣調査室関係者などから、あるいは活字になって報道されているもの、複数の情報源から聞いているところによると、日本政府の調査した結果、年間千八百億円から二千億円のお金が北朝鮮に流れていた、バブル華やかなりしころです。それをとめようとした。
 なぜこのことを申し上げるかというと、このお金がどうつくられたかということと朝銀信用組合が不良債権をどんどん出していったということが重なるからです。担保価値が例えば十億しかないところに、三十億、五十億貸し出しがされているわけです。見てみますと、貸し出しているのは朝銀信用組合です。担保になっているのは朝鮮総連の持っている土地です。借りた人は朝鮮総連の個人です。それぞれ商法上は別ですけれども、実際は朝鮮総連という傘下、そして朝鮮労働党の命令下に行われたとしか思えないような融資が行われて、そして焦げついている。焦げつくと、ペイオフで一〇〇%預金は保護されるから、公的資金が入るという形で、どんどん送られたものの穴埋めを公的資金でしていることになるのではないか。
 そして、不明朗なのは、九三年、九四年のときは日本政府はかなり本気で送金の実態を解明しようとして、朝鮮総連の大阪本部と京都本部に捜索をしました。そのときは圧力がかからないでやったんです。そして、そのときは外事警察が入って、徹底的に証拠を持っていきました。ところが、昨年の十二月にこの朝銀信用組合の破綻問題で朝鮮総連が意図的に不良債権をつくっているという事案で捜査が入ったときは、外事警察は入らなかった。捜査二課だけが入って、そしてからからの段ボール箱を三つか四つ持っていった。入った場所も、朝鮮総連が指定した、ここのロッカーのこのキャビネットだけという形をやった。
 なぜ九四年のときにやったような捜査をしなかったのか。アメリカの圧力がまだなかったからですね。つまり、政治的なんですよ。政治的であって、やるべきことをやっていないということと、お金が、北朝鮮に送られたものの穴埋めが入っていくということが大変不明朗である。なぜ不良債権が起きたのか、その背景に意図的につくられたものはないのか、脱税資金はないのかということを徹底的に解明した後、法的な措置がなされるべきだ。それがなされていないということは、朝鮮総連の捜査が適当にされているという事例からしても、大変政治的な力が働いていると言わざるを得ない。不明朗だと思います。
西村委員 ありがとうございます。
 以上、現在に起こっている過去からの事例すべてを総合しても、現在進行中の拉致によって我が日本の主権が侵害し続けられ、我が国民が苦しんでいるという事態でありますから、本日直ちに制裁を発動するとして、西岡参考人は、先ほども普通の国なら制裁すべき状態だと申されたですが、制裁発動はどういう種類で、どうだというふうに考えておられますか。
西岡参考人 私は、本日直ちにではなくて、期限を切るべきだ。北朝鮮に対してアナウンスをする。拉致問題について、まず消息を明らかにせよ、いることを私たちは証拠を持っているんだと。こちらの証拠を開示して、特に、原敕晁さんなどはパスポートがあるわけですから、そういうものを開示して、それは秘密交渉で開示してもいいと思います。全部に開示する必要はないですけれども秘密交渉で開示して、これだけのものを持っているんだ、明らかにせよとして一月ぐらい、あるいは二月とか期限を切る。そして、それでもしらを切って何にも態度をとらないのであれば、順を追って制裁措置をとる。
 当初は、北朝鮮に行く在日朝鮮人の再入国許可をとめる、日本からの送金、これも公式にされているものをまずとめる。それからもう一つは、北朝鮮の万景峰号という船が入ってきていますけれども、その入港をとめる、現行法規でできないのならば法令を改正してとめるということをまずすべきだと思います。
 そして、その次には、また時間を置いて、国連の安保理事会に、主権の侵害であるということで世界レベルで経済制裁をしてほしいということについて提訴をするぞと。実際にする。これは九四年にアメリカが核問題でやろうとしたことですけれども、経済封鎖をするというようなことを次に考えるべきだと思います。
 それを公開で言って、証拠は秘密でちゃんと見せて交渉するということが私の考えていることです。
西村委員 当安全保障委員会がこのような参考人の質疑を始めた以上、今話題になっていることは極めて具体的な救済問題でありますから、具体的な提言をする責務が当安全保障委員会に生じたと思っています。
 私は、制裁発動あり得べしという発信を当安全保障委員会は委員長の名にかけて発するべきだと思いますが、理事会で御検討をいただきたい、こう思います。
玉置委員長 はい。
西村委員 はいと言われましたな。
 次に、李昌成さん、お願いします。これから申し上げます。
 在日朝鮮人のために朝鮮総連というのが日本にあります。この組織は、私は実態がわかりません。ただ、この組織が今問題になっている日本人拉致に深くかかわっておるわけでございます。
 それで、お願いとお尋ねをするわけですが、あなた方在日の朝鮮の方は、同胞のためにある組織である、しかしあなたは朝鮮総連は同胞を裏切ったんだとおっしゃっておられて、私はまあそうだと思いますが、しかしながら、同胞のためにある組織であることは確かである。
 あなたは朝鮮総連に行くことはできないんでしょうか。朝鮮総連の建物の中に入って、日本の国会で拉致の問題の参考人で出た、君たちはそのような問題に目をつぶって日本国内で生きていけると思ったら大きな間違いだぞ、それを忠告するというようなことはできないんでしょうか。つまり、朝鮮総連の建物の中に同胞であるあなたは入ることができますか。
李参考人 私は、何事も朝鮮総連に訴えて、総連に訴える気持ちはいっぱいありますけれども、私は拉致問題はよく知らないので、帰国者が帰国して帰るとか日本人妻が帰るとか、そういうことは抗議もする、希望もあるし、また、何か言いましたらそういうことは考えてはおるんですけれども、拉致の問題は、誘拐の問題は私はよく知らないので、それはどういうように答えていいか、私まだ今考えが、ちょっとよくわからないので、それで拉致誘拐事件を……(西村委員「いや、わからなかったらいいです」と呼ぶ)はい。
西村委員 本委員会は拉致問題のためにやっておると思っていますから。
 杉嶋参考人、最後に一言言ってください。
 数年に及ぶ、北朝鮮の中に拘留されて、またそれ以前にも北朝鮮を訪れられて、有本恵子さんや横田めぐみさんの情報は何か得ましたか、ジャーナリストとして。
杉嶋参考人 私、向こうでは全く邦人と接触することを禁じられて、小さな部屋で監禁された状態でしたので、全くそういう情報は、調査官との対話でしかありません。
 それで彼らは、我々はテロ国家でもないし拉致問題などあるはずがない、おまえたちは、例えば新潟県のどこかで幼いころから女の人が屋根裏で生活していた、ああいうようなものがあるじゃないか、そんなようなこと。それは自分たちの拉致問題に対する誤解であるとか、そういうことも含めているんじゃないかとか、何かそういうような話で、決して拉致問題について向こうは認めていません。
 それで、よど号事件の安部公博という人が私に言うには、よど号事件の中に一人、よど号事件のメンバーの一人ですね、赤木志郎という人の妹さんと結婚した人が、小川という人がいるんです。その人に対して、安部公博氏が言うには、こういう人をもしピョンヤンで見かけた場合には、小川は何か拉致されてピョンヤンへ来たんじゃないか、そういうふうにとられるかもしれない、つまり、拉致問題について基本的な認識の違いがあるかもしれないなどと言っていました。
 だけれども、それは本人が好きで行ったような人ですから、この本来の拉致問題とまったく関係ないと思いますが。
 私自身は、拉致問題についての情報は、調査官との対話の中でしかわかりませんので答える資格がありませんが、彼らは認めていません。
西村委員 ありがとうございました。
玉置委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 参考人の皆さん、本当に長時間御苦労さまです。
 日本共産党の赤嶺政賢でございます。
 最初に、有本参考人に伺いますけれども、先ほどのお話を伺いまして、ちょうど有本恵子さんと同じ年代で、留学している娘を持つ親として本当に他人事ではなくて、身につまされる思いで先ほどの体験を聞いておりました。御夫婦の心痛とともに、有本さんと同じように消息を求める御家族の方々の悲痛な訴えを受けとめて、そして、本当にこの疑惑の解決に真剣に取り組み、早期に解決しなければならないという、改めて責任の重さを痛感したところでございます。
 ことしの四月十八日の参議院の外交防衛委員会でも取り上げられているわけですが、有本さんは八尾さんと二〇〇二年三月上旬にお会いになっていることを私も報道で知りました。先ほどちょっとお話がありましたが、八尾さんの本の中で書いていることについては読んではおりますけれども、どういう目的で、なぜ八尾さんや安部さんという人たちが有本さんを北朝鮮に連行したのか、連れていったのか。あの本に書かれているようなくだりですね、そういうことについて、八尾さん御本人からもし有本さん御夫妻でお聞きになって、差し支えなくてここでお話しできることがあれば、ぜひお話をお伺いしたいと思いますけれども、いかがでしょうか。
有本(明)参考人 八尾さんのことに関しては、八尾さんが出した本に大体すべてを書いております。私どもの娘も、友だちにロンドンから送った手紙にも、何やおかしなことを書いているなと思った、そのことが八尾さんの書いている本にそのまま当てはまるような手紙も私どもに来ております。だから、あの人の言っていることはほぼ間違いないと私は思っております。
 というのは、私たちがこの問題を政府に、子供たちの手紙を持っていったときに、警察の方は大変歓迎してくれまして、よくそういう手紙を持ってうちまで来てくれたと非常に警察当局は喜んでくれました。
 それで、それから二年後に日朝の交渉が始まりましたが、その日朝交渉の始まった一月の文春の週刊誌の記事は、いろいろもう捜査当局の情報が週刊文春に流れました。八尾証言というのは、その週刊文春の掲載してきた事項を、あれは自分がやったんだというような内容でありました。
 だから、捜査当局は、もうそういう外国の情報機関からいろいろな情報を仕入れていた。そういうことと八尾のしゃべっていることとが全く一致しているということは私たちはもう認めております。
赤嶺委員 せっかくの機会でありますので、お母さんの有本嘉代子さんも、八尾さんと会われたときのお母さんの気持ち。そして、娘さんが現在どこでどうしているのか、そういう情報も入ったのかどうか、八尾さんとお話しされて。その辺の印象もちょっと聞かせていただければと思います。
有本(嘉)参考人 私どもが会いましたのはことしの三月の二日なんですけれども、去年の秋ごろから、人を通じて、ちょっとあの人の気持ちは聞いておりました。
 そして、詳しい情報は会ったときにお話ししたんですけれども、とにかく短期間ですね。一九八三年の六月に私どもは帰る予定をしておりましたんです。そのときにも、向こうのホームステイ先を出てそれから帰るというように、もう飛行機のチケットも買っていますということで連絡があったんですけれども、その年の五月の末にあの人と接触したらしいです。だから、一カ月の間にどのようにして接触なさったのか、それは詳しくは言うてなかったんですけれども、かなり親しい関係になって、お互いにプレゼントもし合ったんですと言うんです。あの人がおっしゃるのには、結局、仕事がある、貿易の仕事だからいい仕事だというように誘ったらしいんですけれども、本当は前にお二人ほどやはりよど号の方が連れていかれていたんですね、男の方を。だから、後で考えたら、その人の多分奥さんにするために連れていったんだろうと思いますということは言われました。
 だから私どもは、本人は、真っすぐ帰ってくればいいのに、親がいつでも手紙を書くたびに、早く帰ってきなさいよ、勉強済んだらすぐ帰るんですよということはずっと毎月手紙に書いていたんですけれども、何となく自分が向こうにおって開放的になって、もうちょっと向こうにおりたいという気持ちがあるところへあの人がうまいこと誘ったものですから、そのように乗ったんだろうと思うんですけれども、今思ったら本当に残念で仕方ないです。
 だから、それ以降のことはあの方も、うちの恵子に関しては御存じないと思うんです。とにかく私のところに手紙が来ましたのは八八年の九月の六日だったんです。その年にあの人はもう捕まっていたんですね。だから、早くにこっちに帰っているから、うちの子供の様子は余り、向こうへ送り込んだだけでほとんど知らないとおっしゃいました。
赤嶺委員 どうもありがとうございました。
 次に、西岡参考人に伺いたいと思いますけれども、この拉致疑惑問題、これを解決するために何をなすべきかということだろうと思うんです。そこで重要なのは、私たちは北朝鮮との交渉を再開する努力をするということになるだろうと思います。
 四月十一日の衆議院の本会議で、拉致疑惑は、国家主権並びに基本的人権・人道にかかわる重大問題である。政府は、北朝鮮との国交正常化に向けた話し合いの中で、国民の生命財産を守ることが国家としての基本的な義務であることに思いをいたし、毅然たる態度により拉致疑惑の早期解決に取り組むべきである。こういう決議をしているわけですね。拉致疑惑の認識のもとに、国交正常化に向けた話し合いの中でということを決議しているわけですが、そのことは西岡参考人も既に御承知のことだと思います。
 現在、日朝両政府間の国交正常化交渉は、中断してから一年半経過して、何らの進展もありません。何が障害かといいますと、これは政府の説明ですけれども、北朝鮮側は植民地時代も含めた過去の清算が済んでいないと言い、日本側は拉致疑惑の問題が解決しないで国交正常化は進められないということで、双方が決裂している状態であるわけですね。
 日朝間の対話と交渉の場が失われたままになっているのが現状です。これを打開するためにはどうしたらいいのかという点で、西岡参考人のお考えがあったらお聞きしたいと思いますが、いかがでしょうか。
西岡参考人 まず基本的な認識として、私は、国交正常化交渉の場だけで拉致問題が解決するとは思っておりません。そこは認識が違うわけですけれども、国交正常化交渉を再開するために何ができるのかという問いなので、そのことについてお答えいたします。
 やはり日本としては、現在進行形でテロを受けているわけですから、植民地支配はもう終わったことですね、終わったことの清算というのは、テロが終わってめぐみさんたちが帰ってきた後の補償と同じことだと思いますね。その緊急度からいったらば全然違うものですから、その現在進行形のテロが終わらない限り、日朝は正常化できない、非正常であり続ける。
 だから、この非正常さを早くやめてほしい、そのことを期限をつけて訴える。そして、このことのために話し合いをしようと。大変異常な、非正常な関係が日朝にあるんだというふうに我々は認識している、これは放置できないと思っている。だから、このまま放置されていくのならば、制裁措置や国際的な制裁を呼びかけることもやらざるを得ないぐらい非正常な関係があるんだということを日本政府及び日本国会そして国民が認識しているんだということを相手に示して、相手を、制裁措置が嫌であれば交渉に出てこいというふうに追い込むしかないと思います。
赤嶺委員 立場は違いますが、大変貴重な御意見として拝聴しておきたいと思います。
 ただ、私は、日朝両政府間の交渉のルートを早期に開くために、拉致疑惑問題、それから侵略戦争、植民地支配の過去の歴史を清算する問題を事前の、解決の前提条件にしない、そしてそれは交渉の中で解決すべきだと考えています。
 これは、決して拉致疑惑問題を棚上げにするとか、事前に一切問題にしないということではありません、私の立場というのは。交渉を再開する話し合いの中で、日朝関係の確立にとっていかに重要な意味を持つかを提起して、拉致疑惑問題について双方が取り組んでいく道筋をつけることが大事なことだと思います。
 そういう、両方がこれが大事だと争っている問題が解決しない限り国交交渉のルートが開かれないということではなくて、話し合いのレールを再開して、そしてこれらの問題について話し合っていく。こういう考え方というのは、私だけではなくて、最近では国内のNGOの皆さんや宗教者の皆さんも、北朝鮮の問題、拉致疑惑解決の問題を真剣に考えて、いろいろな提案がなされておりますけれども、解決の前提にしないで話し合いの場を再開していくという、こういう私の考え、この点で西岡参考人のお考えはいかがでしょうか。
西岡参考人 先生おっしゃいましたように、認識が違います。
 ですから、この五年間、では何が起きたのかということを考えていただいてもよろしいと思いますけれども、日本は米支援をして北朝鮮に交渉の場に出てきてもらったということですね。二つの人道問題があると言って、人道問題というふうにおりて、言葉遣いまでも。そして、行方不明者と言って、拉致なのに、主権侵害なのにそのことを言わないで、そして実行者の処罰とかそういうことも言わないで、とにかく消息だけでも教えてほしいと言って、おりておりて、この五年間交渉はあったわけですよ。
 しかし、北朝鮮は、日本から米だけをとって、そして何も、拉致問題については一切、調査をしていると言ってみたり、やめたと言ってみたり、またしていると言っているだけで、具体的に何も言っていない。
 北朝鮮が過去に譲歩してきたというのは、例えば一九七六年のポプラの木事件というのがありましたけれども、板門店で米兵を北朝鮮が殺した、そのときに、アメリカ側は空母を送って、期限を切って、これについて遺憾の意を表しないのであればこちらにも考えがあると言ったときに、金日成氏は遺憾の意を表した。
 あるいは、七〇年代の初めの南北対話のときは、一九六八年に武装ゲリラを北朝鮮が入れたんですけれども、金日成氏は、朴正熙大統領との対話が必要だったので、自分の方からやったことを認めて、あれは自分の知らないところで部下の者が勝手にやったんだということをKCIA部長に言ったんです。
 つまり、彼らがそれをしなければ困るような状況をつくれば、彼らの方で認めてくる。それをつくらない限り、ただ話し合いをするために物を送っていれば、物だけとられて終わってしまうというのが私の考えです。
赤嶺委員 今の問題についてですけれども、私たちの党は、ある意味では、朝鮮労働党の干渉という点ではかなり長期間にわたって被害を受けていまして、関係も断絶しているという中にあっても、拉致疑惑問題は解決しなければいけないということで、それを力ずくの制裁というようなことではなくて、平和的に話し合いで解決を図っていくべき外交交渉の場には、事実に基づいて問題を提起して解決すべきというようなことをずっと主張してきたところであります。今後、こういう議論もまた機会を見て大いに交わしていきたいというぐあいに思います。
 それで、時間がありませんけれども、杉嶋参考人にお伺いいたします。
 杉嶋さんの論文を読んで、九九年十二月から二〇〇二年の二月の長きにわたって、北朝鮮当局にスパイ容疑で抑留されていたということを知りました。
 杉嶋さんは、なぜスパイ容疑で逮捕され、そして二年余にわたり拘束され、取り調べを受けたのですか。特に、北朝鮮当局はあなたがスパイ行為をしていたという明白な証拠を示したのですか。杉嶋さんの何がスパイ行為に当たると北朝鮮当局は主張しておられたんでしょうか。この点についてお聞かせいただきたいと思います。
杉嶋参考人 文芸春秋の五月号に手記の中で大体触れてはいるんですけれども、要するに、私が目ざわりだ、危険な人物だ、前からマークしていたと調査官は言っておりました。
 それはなぜ目ざわりかといったら、我が国体制を根本的に否定しているからだということなんですけれども、私自身は、とにかく彼らの国の実態を知りたいということで、もともと私は日本経済新聞に入ったばかりのとき精密機械関係の業界を担当していましたので、カメラ業界とかビデオとか、当時は八ミリフィルムですけれども、そういうのをやっているうちにだんだんそういうもののマニアになってきた。
 それと同時に、先ほど申しましたように、私自身の問題意識からいって、社会主義諸国の実態を知りたいということで、その延長線上に北朝鮮があったということを申し上げましたけれども、それを私が第二回、一九八七年に行ったときから、あいつはどうもおかしいんじゃないかというような感じでマークしていて、一巻の映画ができるぐらいおまえのことはとにかく撮ってあるぞと。
 私自身にはスパイの自覚がないというふうに言いましたけれども、私の通っているところは旅行者コースですから、それほどの重要な機密事項があるとは思ってもいないんですね。ただ、感想を聞かせてくれと言ったときに、お話ししてあげた相手が内閣情報調査室であったとかあるいは公安調査庁だったとか。そこだけじゃないんですよね、いろいろと話をしてあげたのは。いろいろな自分自身で主宰している故郷の勉強会とか講演会で話をしたことがありますから。
 ですから、私自身にはそれほどの重要なスパイ行為というような気持ちはなかったんですけれども、彼らは、とにかく同じ北朝鮮に来るにしても五回も一緒に来る相手が違っているじゃないかと。つまり、最初のときは、平和の船というので、故人ですけれども岩井章という元総評の事務局長、二回そういうのに参加して、その次は、社会党の活動者団体の中に入れていただいたり、あるいは福島県を含めた日本教職員組合の中に入れていただいたり、最後に、よど号事件の連中から誘いを受けて一緒に行った。
 だから、五回もいろいろな団体に加わって来るというのは、よほどおまえは関心があるやつじゃないかと。何か特殊な目的を持っているんじゃないか、そういうことで私を取り調べているうちに、いろいろなこと、私の背景とかというのがずっとマークされていたんですね。実は、私自身が知らない間に、かなりいろいろなことが私の情報として、私に関する情報が向こうに伝わっていた。
 ですから、参考資料の二のところにも、差し上げた中にあると思うんですが、最後に私自身が捕まったということ自体が既定の路線であったということだったんですね。
 それにかかわっているのはよど号事件の連中、私が八月に行った時点で捕まるはずだったのが、十二月にまた来るからということ、これを知っているのは、よど号事件のメンバーと、その受け皿である自主日本の会の塩見孝也グループしかないわけです。塩見さんという人は少しそういうことに対してむとんちゃくな人ですから、多分ただ私を連れていきたかっただけじゃないかと思うんですね。よど号事件の人たちが私を連れてこいというようなことだったんじゃないか、そういう思いがあります。
 それでなければ、八月に行って――持ち込んだビデオの問題もあったんですが、あれだって、もともとはよど号事件の連中が私に、日本の衛星放送は彼らは大きなパラボラアンテナでキャッチできるんですけれども、普通の民間放送とかあるいはNHK、普通のNHKの番組は撮れないものですから、「クローズアップ現代」とかいろいろな問題意識を、彼らがやる上での研究テーマとして、教材として私が協力してあげた、そういうことです。日本のふるさと歌祭りとか、そういうような日本の歌も、彼らは郷愁を誘うというのでやってやったり、そういうことでトラブったということで、決して私自身が何か傍若無人なことをやったわけじゃないということです。
 先ほどの御質問なんですけれども……
玉置委員長 杉嶋さん、ちょっと時間が過ぎておりますので。
杉嶋参考人 わかりました。
 とにかく、以上のことで酌み取ってください。どうもありがとうございました。
赤嶺委員 では、終わります。
玉置委員長 次に、今川正美君。
今川委員 私は、社会民主党の今川正美です。
 きょうは、参考人の皆さん、本当にお忙しい中にありがとうございました。
 実は、先ほど有本さんの御両親の切なるお話をじかに伺いまして、私も娘二人、息子一人を抱えている一人の父親として、あらゆる手段を尽くして、一日でも早く娘さんが皆さん方のところに帰ることができるように、私もぜひ微力でありますが努力をしてまいりたいということを改めて痛感いたしました。
 さて、先ほど野党の一員からちょっと勘違いのお話がありましたから、私は是正をしたいと思うんです。この委員会の中で、会派によっては必ずしも拉致問題をそうとらえていないかのごとく発言がありましたが、これは何かの勘違いでありまして、実は、ことし四月十一日の衆議院本会議におきましては、日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議というものが全会一致で採択をされております。その最後の部分は、次のようにあります。
  政府は、我が国と北朝鮮との国交正常化に向けた話し合いの中で、国民の生命・財産を守ることが国家としての基本的な義務であることに思いを至し、毅然たる態度により拉致疑惑の早期解決に取り組むべきである。
  右決議する。
このようにあるわけであります。これは、与党、野党問わず全会派一致して採決をされたわけでありまして、先ほどの委員は何かの錯覚であろうと私は思うわけであります。
 それといま一つ、こうした拉致問題あるいは不審船の問題あるいは北朝鮮の側からしますと過去の植民地支配の清算の問題、幾つかの課題が相互にあるわけでありますが、こうした問題はやはり、特に私たち政治家は冷静沈着に、かつ早急に関係を修復する過程の中で解決をしていくということが基本だろうと思うんです。
 ところが、これは先ほど与党のある委員から御発言がありましたが、あたかも北朝鮮という国をやくざになぞらえて、甘い態度をとってもだめだ、制裁を科せと言わんばかりの御意見もありましたが、そういう感情的になってみても解決すべき課題も解決はしないというふうに、私はそう思うのであります。
 特に我が党は、社会党時代を含めまして自社さの連立政権時代のときも、何度かにわたって北朝鮮を訪問し、いわゆる国交正常化に向けて努力を重ねてまいりました。実は私は、この拉致疑惑問題あるいは不審船問題あるいは過去の植民地支配の清算の課題、こういったことは、やはりお互いに外交ルートがない、国交がいまだに正常化されていないということですから、なかなか解決のしようがないんだと思います。先ほど西岡参考人は、国交正常化の問題を言っていてもこの拉致疑惑問題は解決しないとおっしゃいましたが、そこは、私は考え方がちょっと違うんです。
 今、私の手元には、六月二十九日の朝日新聞に、自民党の治安対策特別委員長をなさっている中山正暉衆議院議員、既に拉致問題を支援する議連の会長をもうおやめになっておりますけれども、彼が新聞に長い文章を投稿されております。その中でやはり私が注目したいのは、一番最後の部分なんですけれども、
  過去反目した六十余万在日韓国・朝鮮人は今、心の壁を越え、共に祖国の安定に夢を託す。それをより確かなものとするためにも日朝の国交正常化は急ぐべきである。平壌にせめて連絡事務所を置くべく、日本政府は積極的に北朝鮮と交渉すべきだと思う。それが拉致問題の解決につながる。
というふうに断言をされておりまして、私も全く同感であります。
 今、国交正常化に向けての交渉の展望というのはなかなか見えてきませんけれども、しかし、ことしに入って、一月、三月そして四月、それぞれ課題は違いますけれども、日朝間の外交当局レベルの接触であるとか赤十字会談等も行われております。こういった各レベルの交渉を通しながら、まずやはり扉を開く。国交正常化のために、過去の植民地支配の課題を持ち出したり、あるいは拉致問題を持ち出しておれば、開く扉もいつまでも開かないのではないかというふうに思うのであります。
 そういった意味で、これは西岡参考人と杉嶋参考人に同じ質問をいたしたいと思うんですが、今申し上げたように、こうした拉致疑惑問題を一日でも早く解決するためにも、今、お互いのやはり信頼関係が全然ありません。北朝鮮は北朝鮮なりの過去の問題を抱えて、日本に対して不信感で凝り固まっている。日本の側もまた、この拉致疑惑や不審船問題等、不信の塊。この状態をそのまま放置する限り、日朝間の本来あるべき正常な姿は出てこないのではないかと思うのでありますが、その点、お二人、いかがでしょうか。
西岡参考人 先生おっしゃいましたように、かなり認識が違うと思います。つまり、不信感を解消することが目的ではなくて、国会決議でもありましたように、日本国民を救うということが第一の国家の義務だと思います。日本国民が拉致されているというふうに判断されるのであれば、先ほど先生も冒頭におっしゃいましたけれども、すべての方法を使って解決する、その方法の中には、北朝鮮が日本に対する不信感をふやすことがあっても解決すべきだというふうに思います。
 これは、現在進行形のテロ、まだ終わっていない、被害者が帰ってくるまで犯罪は終わっていない、その被害を我が国と我が国民が受けているということであって、過去の清算の問題とは全く別の問題である。過去はもう終わっていることです。そのことを同じ扱いにして、不信感だという議論は、私はくみいたしません。
杉嶋参考人 私は、最初に申し上げましたように、社会党の系列の岩井章事務局長、故人ですね、あの人たちの平和の船に参加しまして、平和集会に出ていますと、あれほど聡明だと思われていた岩井章先生たちが、突然、あの国に入った途端に、この国はとてもよい国だと言い出すんですね。私はもともとが是々非々ですから、いいものはいい、悪いものは悪いとなぜ言わないのかと私は思いました。
 それから、拉致されている二年二カ月、拉致されていると言いましたのは、先ほど私は、仕組まれた拉致として拉致されたんじゃないかと自分自身が思っているわけですから。それで、二年二カ月の間、最初の三カ月の間は取り調べがありましたけれども、その後、日朝間の政府交渉で私の身柄がどうなるかということを見守りつつ、向こうの体制の内部から勉強しようと思いまして、向こうの使っている辞書とか、彼らの使っている、中高校生用、高等中学校というんですが、その人たちの使っている辞書とかそういうのを全部、毎日何十ページも調べてノートをつくって、彼らの考えている物の考え方とか戦略の仕方とか全部研究していたんですよ。こんなにたくさんノートがあったけれども、全部没収されました。
 だけれども、私が基本的に言いたいのは、我々が向こうに対して、北朝鮮に対して敵視していると向こうは言っていますけれども、彼らは敵視教育を小さいときからやっているわけです。抗日パルチザンのときにはどうであったかとか、小さいときから日本を憎む教育ばかりしているんですよ。そういう敵視政策をなぜ日本はもっともっと言わないのか。我々の敵視を言うんだったら、国民教育で仲よくするような教育をしなさいと私は言いたい。私興奮しますけれども、そういうことを考えていると。とにかく敵視政策が、向こうが小さいときから国民教育をやって、また、その敵視政策がないと政権が維持できない政権です。そういうようなところがわかりました。
 ですから、私は、あの国は豊かになってもだめだし、消費者が育ってもだめだし、とにかくお仕着せの国家をありがたく思うような政権体制を維持するということが彼らの自己目的化した政権維持の道だと思っていますので、こういう態度を何とかやるためには話し合いではとても無理だ。だから、西岡さんがいろいろと制裁のことを言っていましたけれども、私は賛成です。それがあってこそ本当に、とにかく是々非々で、確かに私は日朝正常化が早く解決して皆さんが交流すればいいなと思っておりますけれども、とにかく向こうの敵視政策も何とかしてほしいな。だけれども、それはちょっと無理でしょうね。
今川委員 お気持ちはわかります。ただ、今おっしゃったような相互の不信感をどのような形で払拭していくのか、そういったことが非常に大事だろうと思いますし、そういった意味では、政府レベルでなかなか遅々として進まないのであればということで、私たち社民党や労働組合などは地域のレベルで北朝鮮との間に、ささやかですけれども、やはり交流を重ねながら、お互いの過去の歴史の認識の問題であるとか現在のいろいろな諸課題に関して、まずやはり意を通じ合うということから始めていかなければ、本来あるべき正常化の姿というものはいつまでたっても見えてこないのではないのかなという気持ちがするわけであります。
 さて、有本さんの御両親にはいささか失礼かもしれませんが、当時、森総理のときに、いわゆる日朝の交渉の正規のルートというよりも、非常に変則的なんだけれども、地球規模で探索し、どこの国からでもよいから発見した、そういう知恵に基づいてこちらに取り戻すことができないかというふうなことをおっしゃった時期があるわけですけれども、そういう形でもし娘さんが帰る可能性があるのであるとすれば、どのようにお考えでしょうか。
有本(明)参考人 基本的には、娘が帰ってくるというのであれば、どんな方法で帰ってきても私は歓迎します。
 でも、恐らくあれは中山さんが向こうへ行って話を決めてきたと承っております。どういう状況でああいう話が出たのか、話の会話に行き詰まって、それで、それならもう外国で発見されてもええやないかというふうな方法になってしまったと。この話を向こうとするときには、国の原理原則論に従って向こうに迫っていかなければならない問題なんです、これ。それをそういうふうに言うて、何かもう、ああ、もう話わかったわかった、うるさい、それならそれでええやないかと、そんな話の決め方があの話になったんだ、私はそういうふうな解釈をしております。
 だから、なめられてもうとるのやから、向こうは、はあはあとその場しのぎで話をはぐらかしていくだけで、それを日本の方はまともに、それの話で向こうが受け取ってやってくれるんだと一方的にそれを信じて、国内でそういうことを言っている。そんなことは実現するはずはありません。
今川委員 少し、五分ほど時間が余ったんですが、これで質問を終わります。
玉置委員長 この際、議員小池百合子君より委員外の発言を求められておりますが、これを許可するに御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
玉置委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 小池百合子君。
小池議員 まず冒頭、本日の参考人意見聴取がこのような形で実現いたしましたこと、また、私の発言の機会をお与えいただきましたことに関しまして、委員長そして委員の皆様方に深く感謝したいと思います。ありがとうございます。
 さて、きょうの参考人の皆様方からいろいろと御意見を聴取させていただいているわけでございますが、私は基本的に、北朝鮮という国が現実に日本から近い距離にあって、そしてその国が、いわゆる組織でも企業でも国でも何でもそうなんですが、四元素、人、物、金、情報、この四つすべてにわたって、日本との関係において不正常な状況にあるということを認識いたしております。
 冒頭に挙げました人でございますが、まさに拉致でございます。物につきましては、あの不審船等々に、船の船体そのもの、それから各種ミサイル等々に使われている部品、そしてそのノウハウ、これをひっくるめて物。それから、朝銀問題に関係いたしましてお金。さらには、きょうは杉嶋さんが、文芸春秋に大変衝撃的な手記でお述べになられましたけれども、日本の情報が筒抜けになっているということ。このすべてにおいて、私ども、国家そして国民を守る立場にある政治にいる人間といたしまして、これは真剣に考えなければならないということで、当事者である皆様方に本日はお越しをいただいたわけでございます。
 まず有本さんにお伺いをいたしたいと思いますけれども、今回このように、衆議院の方でも、また先駆けて参議院の方でも、国会という公の場にお越しをいただいたということでございますけれども、これは多分、つい数カ月前まではこのような状況は考える由もなかったのではないか、もうあきらめかけていらしたのではないかというふうにも思います。八尾恵さんのさまざまな発言の中からいろいろなことが証拠として明確になってきたということもございますでしょうが、政治に対して憤りをお持ちになった時期もございましょうが、このように、政治の場として責任を持ってきょうのこの会が開かれたということは、これまで非常におつらい時間が圧倒的に長かった、そういう中で、大きな変化が出てきているということをお感じになっていただいているんじゃないかと思いますので、そのあたりの所感から伺わせていただきたいと思います。
有本(明)参考人 子供からの手紙を政府に持っていって救済をお願いしてから、この九月で丸十四年になります。それで、やっと今のような、この今の現場の状況が、最近、参議院と衆議院とで生まれてまいりました。私は、政治の方もやっと認識をしていただいたんだと感謝しております。それでよろしいですか。
小池議員 何か無理やり言わせているような結果になってしまいましたけれども、いずれにいたしましても、どのような形でお嬢さんが戻ってくればいいのかとか、それから日朝間の国交の問題というのは、拉致をされている御両親にとってはどちらでもいいことで、とにかく早く戻していただきたい、もうその一点に尽きるのではないかと思っておりますので、そういった作業、そしてまたそういった交渉事については、政治そしてまた政府の方で今後もきっちりと進むように、我々も責任を持って今後とも進めていきたいということの決意をまず申し上げておきたいと思います。
 一方で、本当に国際政治に翻弄されるような状況がお続きになったということ、これは現実でございます。日朝交渉というのはほど遠い話で、いまだに続いているわけでございますし、ましてや米朝交渉も、特使派遣等々も目前までいってそれがだめになるということでございますけれども、どうやら最近の情報では、これは西岡参考人に伺いたいんですけれども、市場経済への移行をやるとか、ウォンの切り下げとか、六十分の一とか、かなり激しい状況が続いてきていると思うんですが、今の北朝鮮の現状についてどういう分析を西岡さんされておられるのか、伺わせてください。
西岡参考人 韓国の新聞とロシアの新聞が相次いで報道し、そして、拉致された漁船員の寺越武志さんが実はお母さんのところに電話をしてきて確認されたんですけれども、北朝鮮では全面的に配給制度が廃止になりました。主食の配給制度が、この七月の一日からのようですけれども、廃止になったという大変化が起きたということです。それにかわって、給料を十倍から二十倍ぐらいに上げたということです。
 どういうことかといいますと、先ほど李さんの方から具体的に話がありましたけれども、実は、主食の配給は九五年からほとんど機能していなかったということですけれども、ピョンヤンに住んでいる人たちは主食があったわけです。寺越さんは、拉致された、拉致されたとマスコミが騒ぎ、我々が騒いだものですから、いや、自分でいたくていたんだということで、ピョンヤンに引っ越ししたんですね。職業総同盟の副委員長という偉い地位に立った。配給がよくなったんです。拉致だというふうに向こうは認めていませんけれども、我々は、それは彼の待遇をよくした運動の成果だと思っています。
 しかし、その人も今配給がなくなって、つまり、職業総同盟の副委員長という立場にいる人でも配給がなくなって、お母さん、お金を持ってきてくれなければ飢え死にしてしまうというような悲痛な電話があったという状況でありまして、ピョンヤンに住んでいるかなり上層の人たちが今生活に困り始めているということが起きています。
 つまり、やみ市で買えということなんですね、給料を十倍、二十倍に上げると。しかし、それはお札を刷るということですから、やみ市の値段が今幾らなのか、じゃ、それに合わせて給料をといっても、お札を刷るだけですから急にインフレになる。当然、それは経済学の初歩ですよね。まさに、ゴルバチョフ政権の末期にソ連で起きたことが起きているということで、ロシアのメディアは、これは崩壊の初めではないかという解説を書いていました。
 ピョンヤンで今大混乱が起きているということで、地方はもうないわけですから、ない中で三百万人ぐらいの餓死者が出たと思います。そして、その後、今生きている人たちは何らかの形でやみで食べられる人以外は、残念なことながらもう死んでいる。横流しとかいろいろなことができる人だけが生きているという状況ですから、ピョンヤン以外の都市ではほとんど今のことは影響がない。
 しかし、ピョンヤンの中層のエリート、最高層は別ですけれども、その人たちが離反をし始めるということが起き、そしてやみ市の価格がどんどん上がるということは、今度はやみで生活している人たちももうちょっとすると不満が高まってくる、そういう状況だと思います。
小池議員 引き続き西岡参考人に伺いたいと思うんですが、せんだって、赤軍のよど号乗っ取り犯が帰国希望というのか、帰ってあげるというのか、そういった記者会見なども行っておりましたけれども、その背景にはどういうことがあるんでしょうか。
西岡参考人 アメリカが北朝鮮をテロ支援国家として、この一月、ブッシュ大統領の一般教書演説でも、厳しい対応をするというふうに言っています。そして、その根拠の一つは、ハイジャッカーをかくまっているということなんですね。ですから、北朝鮮にとっては邪魔になるということがあると思います。
 それと同時に、もう一つ、彼らは労働党の党員ですから、洗脳されているのではなくて、本人たちが革命をしたいと思って党員になっているわけですね。日本革命をするといって、八尾恵さんなども、横須賀で日本の自衛隊員にスパイをつくるために活動していたわけですから。そういう人たちが帰ってくる、日本国内でいろいろな活動をするということは、北にとってそれほどマイナスでもないという判断で帰すということを命令したのであって、労働党から切れるとかそういうことはする自由はないし、彼らもそういうつもりはないと思います。
小池議員 また西岡参考人に伺います。
 先ほど、人、物、金、情報のところで、お金の点で、朝銀問題、朝銀信用組合の大再編成が行われ、そしてまた、合計いたしますと一兆四千億を超える金額が、間接的、直接的、この辺がなかなか不透明ではありますけれども、北朝鮮に関係の深い流れでもってお金が動いてくる、そこに一兆四千億円もの私どものお金がつぎ込まれる。ちなみに、ODAの年額は年度、一年で約九千五百億円でございますから、それを上回るお金が北朝鮮に関連していると言われている金融機関につぎ込まれるというような状況が今起こっているわけでございます。
 現在、それをもっと明確にしなければ納税者に説明がつかないということで私ども運動しておりますけれども、これに関連しての北朝鮮の動き、何らか御存じのことがあれば教えてください。
西岡参考人 北朝鮮は、北京で行われた日本の外務省との間の非公式会談で、朝銀信用組合に公的資金を早く出してくれというふうに要請をしています。つまり、朝鮮総連は、あれは日本の法律でつくられたそれぞれ個々の信用組合であって、北とは関係ないんだと言っていますけれども、なぜ、外交交渉で預金の埋め合わせをしてくれということを北が言ってくるのかということがあると思います。
 そして、日本側は、今常務理事とか副理事長に日本人が入っていたのをただ理事長にチェンジするということをしておりますけれども、どうも最近入手した情報によりますと、金正日から、それをのんでもいいから早くお金を取れという指示が来たようです。東京はちょっと、理事長だった本人が頑張っているようですけれども、総連や北朝鮮は日本の干渉をけしからぬと表で言っていますけれども、裏で指示は、差しかえてもいいから取れという指示が来ているという情報を最近入手しました。
小池議員 本当に、今もう瀬戸際のところにまで差しかかってきておりまして、私ども仲間で運動もし、この件については世論にも訴え、なかなかそれについて御存じない方がまだたくさんおられるということから、そういったアピールもさせていただいております。
 また、民族差別だということをおっしゃる抗議もあるようでございますけれども、信用組合に対しての金融再生法による公的資金の注入ということについては、南関係の信用組合も同じようにいろいろな問題を抱えているわけですが、私どもはそれに対して一言も文句を言った――文句を言いたい部分もありますけれども、それは邦銀でも同じことですけれども、そういったことで区別をした覚えは一切ないということでございまして、北朝鮮、そして総連との関係が疑わしいということを常々主張の柱にさせていただいているわけであります。
 また、これは金融の法律でいきますと、それは幾らでもかわすことができるわけでございまして、私は、基本的にこれは国家の安全保障にかかわる問題であるから、政治の意思としてこれについては見直すべきである、その判断を政治がしないで一体何なんだということを訴えさせていただいてきていることをこの場でも改めてお訴えをさせていただきたいと思っております。
 さて、もう一度有本さん御夫妻の方に伺いたいんですけれども、私も朝銀問題をずっと扱ってやろうとしても、なかなかマスコミも書きにくいんだ、いろいろな事情もあろうかと思います。しかしながら、なかなか真っ向から取り上げるところが少ないということで、いろいろな苦労もございました。
 そういった意味で、この拉致問題に対して、自分のお嬢さんを取り戻すということでさえ、なかなかマスコミの扱いも困難があったと伺っておりますけれども、それに対してのお考え、そしてこれまでの御経験はいかがでしたでしょうか。
有本(明)参考人 マスコミのことに関しましては、子供たちから来た手紙を政府に要請して、それから二年後に、一九九一年の初めに私たちの問題がマスコミの知るところとなって、大きく報道されました。それは、今委員の方にお配りしたビラではっきりおわかりになられたことと思います。そして、マスコミが大きく報道して、私たちは記者会見をする予定で、NHKさんに幹事社になってもらって、外務省に救済を要請して記者会見をする予定でした。
 その前夜に遠藤という極左の人があらわれて、それもNHKを通じてあらわれて、NHKさんは、会いたい人がおるので会ってみてはどうですかという話で、記者会見の日に外務省の近くで会いました。その人が言うには、私たちは一年有半、金丸さんの訪朝のために水面下でいろいろな苦労をやってきた、警察からこんな話が出てきたら自分たちのやったことが何もかも水の泡になってしまうので、記者会見のときには住所、姓名を言わぬようにしてほしい、そういう要請がありました。そういう要請に、私たちは金丸の訪朝のいきさつもほぼ知っておりましたので、その人の要請を受け入れました。それで、その人たちは、金日成につながるルートがあるので、一、二カ月待っていただいたら必ずええ返事を持ってきますという話を、そのときはNHKの記者二人が立ち会って、了解して別れました。それでも、その人は約束を守れませんでした。
 その記者会見も大きな問題にならず、以後、マスコミ各社はこの問題を全然取り扱わなくなりました。そこで、私としては、もう取りつく島もなくなってしまった、協力をしてくれと言うても協力をしてくれる人もおらない、どこへこの話を持っていっても協力してくれるところはありませんでした、当時は。
 それで、思い余って、ビラを作成してマスコミ各社にそれを配り、また、自分から返信用の手紙を出して救済をお願いしました。あのビラのとおりなんです。一応、私たちの思いも込めて送りました。それでも電話一本の取材もなかった。これが十年前の現実なんです。僕はこの時点で、もう愕然としていました。これは、日本の国はどういうことなんだと。
 それともう一人、きょうお見えになる予定だった石高さん、この方が、警察庁クラブへ送ったあのビラの中の一枚をだれかが石高さんにファクスしたので、石高さんが私に取材に来ました。それが多分震災の年の一月の初めごろだったんです。
 それで、外務省に要請に行くのも、それなら私もついていってあげようと石高さんがおっしゃって、ちょうど外務省に連絡をとって外務省へ救済の要請に行くその日に神戸の大震災が起きまして、それが行けなくなって、三月に外務省へ救済の要請に行きました。それで徐々にこの問題が、石高さんの協力を得て、ちびりちびりと世の中に知られるようになりました。
 そういう中で、私は、もう行くところがない、この問題をどこへ持っていっても取り上げてくれない。だけれども、今委員にお渡しした資料の中に、八八年に共産党の橋本議員さんが質問した議事録を秘書からもらっていたので、それしか私どももよりどころがなかったんです、当時は。それで、共産党の橋本議員のところへ行きました。
 それも、一人で行ってもだめだと思うので、外務省で記者会見して取り上げてくれた産経さんと共同さんと、それと毎日新聞さん、この三人の記者に同行してもらって橋本議員の事務所へ行って、とにかく田口八重子さんのことは捜査当局が実在を明らかにしていながら、先生が以前にもこれを質問しておられるので、再度これを質問してほしいとお願いしました。
 すると、もう二、三日たって橋本議員から手紙が入って、私でよければ協力させていただくという返事が来ました。私たちはこれを期待して、五月の連休を利用して橋本さんのところに行ったんですが、秋の臨時国会でやるかと言ったのが、年明けの国会になりました、二月ごろ。それで、家族はみんな傍聴に来てくれと言うて、橋本さんの秘書がそういうふうに……
玉置委員長 有本参考人に、ちょっと時間を短くしていただけますか。済みません。
有本(明)参考人 はい。それで、橋本議員さんにお願いしました。それで、家族の方は皆期待をしていましたが、その直前になって、それもキャンセルになりました。その秘書の方が、いろいろ石高さんらとともに努力して、この拉致家族連絡会ができました。そういういきさつをこの問題はたどっております。
小池議員 ありがとうございました。
 これまで、どちらかというと、この拉致の問題にしろ朝銀の問題にしろ、なぜか日本はタブーとして腰が引けてきたがために、かの国を増長させてしまったという責任もあろうかなということを痛切に感じつつ、一刻も早くお嬢様が日本に帰れるように私たちも努力をしてまいりたいと思っております。
 ほかの参考人の方々にはお話を伺えませんでしたけれども、本日はありがとうございました。
玉置委員長 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
 きょうは、大変御多用の中、この委員会に御出席をいただきまして、また貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。委員を代表して、皆さん方に一言御礼を申し上げます。
 参考人の方々は御退席いただいて結構でございます。
     ――――◇―――――
玉置委員長 この際、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名したいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
玉置委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 それでは、理事に藤島正之君を指名いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時四十九分散会

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