北朝鮮人道支援の会

(朝鮮民主主義人民共和国)

  ニューズレターNO.5       編集・発行人 吉

                    338-8570 浦和市下大久保255 埼玉大学「吉田研究室」気付

          TEL:048-641-8203 FAX:048-647-6191 E-mail:yoshida@post.saitama-u.ac.jp

2000(平成12)1日     郵便振替番号:00140-4-126579 加入者名「北朝鮮人道支援の会

今こそ朝鮮半島に和平を

   竹岡 勝美(本会会員、元防衛庁官房長)

 

 東西22ヵ国が「不戦宣言」に調印し、米国の国防費は40%削減、500万人のソ連軍は150万人のロシア軍に縮小されるなど、冷戦終結は、人類に千載一遇の平和と軍縮の好機をもたらした。

 唯一の仮想敵ソ連の脅威が消失した日本も当然、自衛隊と在日米軍を縮小し、国民に平和の配当をもたらすべきチャンスだったが、戦前から軍部に弱く、戦後の対米従属の日本の政治は、この好機をむざむざ逸した。

 しかも、あい次ぐ軍縮に反発した米軍部は冷戦後の世界戦略として、「中東紛争」と「朝鮮有事」に同時に対処すべく、欧州とアジアに10万人ずつの兵力を配備することとした。特にアジアの10万の兵力の中核は在日米軍4万7千人として一兵も引かぬとこれに固執し、折からの沖縄の少女暴行事件で燃え上がった在日米軍削減の世論に水を差した。

 その際、朝鮮和平が実現されれば、沖縄の米海兵隊のハワイ移駐も可能としたジョセフ・ナイ元米国防次官補の発言は銘記されるべきものであった。

 さらに米国は、1993年の北朝鮮の核疑惑を口実に第二次朝鮮戦争を想定して、国を挙げての後方支援を日本に求め、その結果、1999年5月「周辺事態法」が成立した。

 一方、北朝鮮としては、朝鮮半島上で韓国軍と戦う覚悟はあっても、はるか海をへだてた日本の基地から出撃してくる米軍の猛攻を防ぐ手段がなく、まさに臥薪嘗胆、ようやく日本に届くノドン・ミサイルの開発に成功し、1993年5月の試射を経て、以後その配備に努めた。

 国民に脅威感を与えぬためか、日米防衛当局はノドンについての詳細は秘したままで、米国が10基配備の事実を自衛隊に通知したのも、周辺事態法成立直後の昨年の5月末だった。(本年3月、在韓米軍司令官は米議会ですでに100基配備と証言)

 私は、昨年前半の90日間の周辺事態法案の国会審議中、国会議員有志への私信、朝日、毎日両紙上でのインタビューなどで、周辺事態とは第二の朝鮮戦争であり、日本が国内の基地から北朝鮮に猛攻を加える米軍の出撃を許し、国を挙げてこれに後方支援すれば、北朝鮮は日本を敵と見なし、国家存亡の危機に立てば、かなわぬまでもと、ノドン・ミサイルで日本の原発を攻撃し、あるいは化学兵器を搭載して大都市に撃ち込んで来る可能性もあると警告し、それよりも超党派の政治家が日朝国交正常化と朝鮮半島和平実現に努力するよう要望してきた。しかし「周辺事態は朝鮮有事ではなく、特定の国や地域を対象にしていない」との政府の遁辞で、私の警告は完全に無視された。

 ところが、立法後の昨年8月1日付毎日新聞のインタビューに答えて当時の野呂田防衛庁長官は、北朝鮮の炭疽菌など生物化学兵器が首都圏に一発撃ち込まれると死者が12万人出るという防衛庁の評価に肝をつぶし、7月の自民党全国研修会で「ノドンで撃ち込まれる生物化学兵器は核爆弾よりも恐ろしい」と嘆いた事実を述べ、「防衛庁のみでは手に負えない」と告白している。国会審議中に一言も触れず、立法後の発言の無責任さに呆れるほかない。

 本年2月に行われた周辺事態に対応する日米の共同図上演習では、朝鮮有事を想定し、日本が後方支援作戦を展開し、「国内に弾道ミサイルが着弾するようになり、首相は自衛隊に防衛出動する」という私の警告通りのシナリオが展開している。この演習で炭疽菌など生物兵器をどう扱ったか知らないが、演習後の4月、防衛庁は「生物兵器対処懇談会」を設置したという。

 現在、ミサイルの開発と配備は国際法規で何ら禁じられていない。だからこそ米国も、北朝鮮がノドンを開発し、今日まで100基も配備していることを非難してはいない。国防上、米国本土にまで届くテポドン2号の開発を怖れて、せめて米朝協議が続く間、その発射中止を求めているにすぎない。

 北朝鮮に猛攻を浴びても米軍に基地を提供し、そこからの発進と米軍に対する後方支援を認める日本には、北朝鮮のミサイルの開発、配備を非難する資格はない。世界の失笑を浴びるばかりである。

 周辺事態法の発動は是非とも阻止すべきである。日本が日朝国交正常化を手がかりに、朝鮮半島和平に貢献することこそ、唯一の日本の安全保障策であり、かつ、かつての宗主国としての日本の道義である。前述のナイ発言によれば、在沖縄米海兵隊のハワイ移駐も可能になるのである。

 去る4月20日付の読売新聞によれば、朝鮮有事への対処を前提としていた米世界戦略について、米国防委員会はその改変を求め、朝鮮半島統一に備えた計画作りの策定を求めたという。2月に朝鮮有事に備えて演習を行った自衛隊はピエロのようなものだ。

 南北首脳会談の6月開催も決まり、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国も北朝鮮のARF(ASEAN地域フォーラム)への参加をこぞって歓迎している。

 こうした動きの中で、普天間基地を沖縄県内に移転する計画が進んでいるが、そんなことは不要である。また北朝鮮を標的とする日本のTMD(戦域ミサイル防衛網)開発のための巨額の資金も、朝鮮和平後の経済支援に充てるべきだ。それこそ世界に果たしうる日本の貢献ではないか。

 

日本人拉致疑惑をめぐる“疑惑”

野田 峯雄(本会会員、ジャーナリスト)

 

 4月下旬に横田めぐみさんの両親の滋さんと早紀江さんの住まいを訪れた。

 緩慢ながら着実に前進している米朝協議、4月上旬に再開された日朝国交正常化交渉、6月中旬の南北朝鮮首脳会談、また、これらを手がかりに浮上してきたさまざまな経済的・対北朝鮮アプローチ(胎動)など、北東アジアがやっと過去に決別して新しい舞台へ入る、いわば回天の季節を迎えようとしている中で、なお、けっして見落とすことのできない「問題」があったからだ。

 私は、1997年に横田滋さんにインタビューした。そのときの彼の「平壌にめぐみさんがいると教えられてひどくとまどっている姿」が目に焼きついている。で、彼はこんな疑問を漏らしたのだった。

「なぜ、元工作員たちの話の中には、私たちしか知らないことが入っていないのだろうか」

 そして、今年の3月上旬。横田さんたちは、政府による北朝鮮への10万トンの米支援決定を翻意させようと外務省と自民党本部前で座り込みをした。娘を返せ、息子を返せ、と絶叫した。

 私には「97年の横田滋さんのとまどい」と「2000年の横田さんたちの絶叫」の落差が気になってしかたがない。この落差をつくったものは何か。いま横田さんたちを「絶叫」へと駆り立てている者はだれか。

 4月下旬に再び会った横田滋さんは、「たとえば安明進氏の拉致に関する話(伝聞)は現場状況と著しく異なっている。そのことはあなたがたがもっともよく知っています。そこでうかがいたいのですが、こうした安証言についてどう思われますか」との私の問いに対し、次のように答えた。

「実際、(安氏に)会ったとき……、細部がそうであっても(異なっていても)、全体としては正しいと思った」

 では、「全体として正しい」という横田さんの判断を支えているのは何か。横田さんは、「北朝鮮に拉致された人々の救出のための署名」が約136万2000へ達したと言い、さらに、こう続けた。

「(署名をお願いすると)みなさん、初めのころは『(北朝鮮が拉致したのは)本当かな』といった感じがありました。でも、その後、ミサイル発射(98年8月)不審船侵入(99年3月)などがあったので、関心が高まり、いまではそういう人はいません」

 どうやら「拉致」と「ミサイル」と「不審船」を渾然一体化しているようなのである。なぜ渾然一体化するのか? ちなみに、防衛庁資料によるとミサイル(飛翔体)の軌跡は、日本上空には違いないが各国があたりまえに利用している人工衛星ゾーンであり(領空に関する国際的な共通概念や規定は存在しない)、おまけに同飛翔体の落下ポイントは、「三陸沖合」などどはとても言い難い、日本の領海の外縁からなお60キロほど向こうである。不審船のほうにもちょっと触れておく。2隻のうちの1隻(同名の漁船)の経歴には、奇妙なことだが、日本から「韓国」へ売られたことを示す痕跡がかい間みえる。

 いずれにしろ、すべてを一括して北朝鮮に背負い込ませる「思考」パターンから、私たちは、もう脱却すべきではないだろうか。あまつさえ「拉致」の場合、これまでいくらでもチャンスがあったにもかかわらず、日本の捜査当局(および外務省)は、だれもが納得できる明確な証拠を私たちにも北朝鮮にも提示し得ていない。いいかえれば、いまもって「行方不明者」と「北朝鮮」を結ぶ鮮明な糸がない。

 とともに、ぜひ次の点をはっきりと押さえておかなければならない。「いままで喧伝されてきた拉致」の源の問題だ。87年に発生した奇怪きわまる大韓航空機858便行方不明事件後の騒動をきわめて巧みに演じ続けた金賢姫の告白である。

 私は、彼女の語る「破壊工作の旅」を追跡し、彼女の告白のとてつもない虚言の連鎖を知った(宝島社文庫刊『破壊工作』で詳述)。また、金賢姫の呟きを拡大した韓国国家安全企画部(現・国家情報院)と日本の警察庁の連携プレーの成果である「李恩恵」は埼玉県出身の田口八重子さん」を取材し続け、すさまじい牽強付会の実態を知った。(宝島社刊『北朝鮮に消えた女』で詳述)

 要するに、そこに広がっていたのは虚構の彩りの濃い光景だったわけだが、もうひとつ注視すべきなのは、このような光景が、じつは幻視とでも呼びたくなる光景が、とりわけアメリカの東アジア戦略の一環として現出したことである。アメリカ戦略の最高重要事項(プライオリティ)は何か。自国の利益を確保するための支配構図の強化および巧妙化だ。

 さて、横田滋さんの署名活動についての説明(前述)によってとくに喚起されたのは、今日、私たちの耳にしている「拉致」が、行方不明者たちの個々の事件の客観的な検証に立脚しているのではなく、「ミサイル」や「不審船」などに強く結びつけられ、支えられて、なんとか成立しているという点である。そのため「拉致」はいったいどんな形に成長したのか?

 4月30日、東京の日比谷公会堂で行方不明者の家族の主催する「横田めぐみさんたちを救出するぞ!国民大集会」が開催された。なぜか「横田めぐみさん」を看板にしている。中央前列の背広姿の男性が集会進行の節々で日の丸の旗を大きく振った。佐藤勝己氏(共催者の「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の会長)が真打ちのように登壇。「あの北朝鮮」をかざしつつ「日本政府」を糾弾し、野中広務自民党幹事長を激しく非難した。参会者の何人かがすかさず「売国奴だ!」とか「国賊!」とか「殺せ!」などと呼応した。最後に約1200人の参会者全員が「うさぎ追いしかの山」を合唱した。

 おそらく、「元北朝鮮工作員の囁く横田めぐみさん」や「売国奴!」や「日の丸」や「うさぎ追いしかの山」の混濁した沼からは、何も生まれないだろう。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送