特攻とテロ(part3)

 また、911テロの実行犯は死んだら天国へ行って、処女のお酌で、いくら飲んでも酔わない酒をしこたま飲める(どうせ酒池肉林を望むなら、「処女のお酌」などではなく、「非処女のお尺」の方がいいのではないか?また、いくら飲んでも酔わないならノン・アルコール・ビールか麦茶でも飲んでいればいいのでは?)そうですが、この点においても、「祖国のため、家族のため」という自分のためではないもののために死んでいった特攻隊員とは明確な違いがあります。
 残していく自らの妻に対し、「若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。」と言い残して行く隊員と、カルト的に天国での酒池肉林を盲信している輩の行動を同列にする馬鹿さ加減は、その精神面での低俗さにおいて売国奴としてふさわしい資質であると言えましょう。
 狂信的なテロリストというのは、むしろイスラム教の教え自体、「まともに理解もできていない」という指摘もあります。
 テロリストの「天国で酒池肉林」というのは、実体が無い妄想ですが、特攻隊員が守ろうとした「祖国や家族」には実体があり、彼らが守ろうとしたものは現在、我々が住んでいる祖国であり、我々自身であるということを売国奴は理解してはなりません。
 あと、天皇のため云々をもって、戦前の日本や特攻隊員をカルト的に捉える短絡思考の馬鹿も存在しますが、「天皇=神だと思っている人は実際には殆ど居なかったのが実態だったはずだが、僅か数十年前のことでも、後の世になれば正確に伝えられていない」と司馬遼太郎氏が指摘しているように、当時から天皇は国家の象徴的存在だったという側面もあります。
 本当に特攻隊員がカルト的発想だったかを計るのに最も解りやすいのは、西田中尉が山岡走八氏に語った次の言葉でしょう。

 世界最長と言われる小説「徳川家康」の作者・山岡荘八氏は戦争当時、西田高光中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか?負けても悔いはないのか?今日の心境になるまでにどのような心理の波があったか」などを質問しました。
  西田中尉は、現在ここに来る人々は皆自分から進んで志願した者であることと、もはや動揺期は克服していることを話しました。
 そして最後に、
 「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです………おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに………」
 と言われたそうです。

 西田中尉は出撃の2日前、死装束となる新しい飛行靴が配給されると、すぐに部下の片桐一飛曹を呼び出し、「そら、貴様にこれをやる。貴様と俺の足は同じ大きさだ」と言いました。
 片桐一飛曹は顔色を変えて、「頂けません。隊長のくつは底がパクパクであります。隊長は出撃される…いりません!」と拒みました。
 すると、西田中尉は、「遠慮するな。貴様が新しいマフラーと新しいくつで闊歩してみたいのをよく知っているぞ。命令だ。受取れ。俺はな、靴で戦うのでは無い!」と答えたそうです。
  彼がパクパクとつまさきの破れた飛行ぐつをはいて、500キロ爆弾と共に大空へ飛び立っていったとき、山岡氏は見送りの列を離れ声をあげて泣いたそうですが、売国奴になるためには、こういう時にも「で、みごとに戦闘機と燃料と命を無駄に捨ててきたわけですね。」などという卑しい解釈をしなければなりません。
 死装束となる新しい飛行靴を部下に与えたことだけをみても、テロリストの「天国で酒池肉林」という根拠の無い妄信とは全く違った冷静な判断をしていることがわかりますが、売国奴はこの西田中尉でさえも、“処女のお酌で、いくら飲んでも酔わない酒をしこたま飲みたいがために、無垢な一般市民を犠牲にしたテロリスト”と同化させる覚悟が必要なのです。
 勿論、自分自身が一般の人から見て反吐が出るような卑しい人間であることに気付いてはなりません。
 次頁に特攻隊員の遺書とそれに対して、心根の卑しさを丸出しにした解釈を掲載しましたので、立派な売国奴になるためにも是非参考にして下さい。


特攻隊員の遺書

part2

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